おまかせルーマニア・ブルガリア10日間

2018年 5月 14日 〜 23日
H.I.S. Impresso (添乗員:新堀友子さん)
に参加して

PART.5  ヴェリコ・タルノヴォ   カザンラク   コプリフシティツァ





 





ブルガリア国旗









日程 6日目 5月19日

17時30分 イワノヴォよりヴェリコ・タルノヴォへ到着。

ヴェリコ・タルノヴォ
ヴェリコ・タルノヴォはブルガリア北東部の街。ヴェリコ・タルノヴォ州の州都であり、ブルガリアでも最古の集落の一つで5000年を超える歴史を持つ古都です。
街はヤントラ川沿いに広がり、かつて第二次ブルガリア帝国の時代には首都として栄えた街で多くの歴史的建造物が残されている。
観光のスタートは「ブルガリアの母広場」から。
この広場から東に延びる石畳の歩きにくい道が旧市街のメインストリートになる。
両側にはレストランやホテル、日用品からお土産屋さんなどが並んでいます。路地へ一歩入ると、細く曲がりくねった古い石段や坂道、そして石造りの歴史を感じさせる古い家が続き、サモヴォドスカタというチャルシャ(市場)があります。古くから金銀細工や陶器、織物、革製品、木彫り、絵画、刺繍やレースの手芸品などの小さな店が軒を連ねていて、どのお店も工房を兼ねていて、職人さんたちが手作りした物を並べています。でも土曜日の夕方だったせいなのか、閉まっているお店が多くあまり活気は感じられません。
建物の間からは川を隔てた緑深い丘や蛇行する川沿いののどかな風景を見下ろせます。

街中を蛇行して流れるヤントラ川と旧市街を囲むようにツァレヴェッツの丘、トラペジッツァの丘、スヴェタ・ゴラの丘と大きな3つの丘があります。

ツァレヴェツ丘
第二次ブルガリア帝国時代には、この丘全体がかつてのブルガリア皇族や総主教の住まいとしての宮殿が建てられていたのですが、オスマン朝の猛攻により瓦礫の山と化してしまい、大教区教会の他は緑の木々に覆われています。丘の周囲はぐるりと往時の城壁が残されていてこの丘全体が要塞のような役割を果たしていたのだということが分かります。

トラペジツァの丘
丘の3方向をヤントラ川に囲まれた第2の要塞で、今は中腹までは新しい家屋が建てられているが上部は露出した岩と深い緑に覆われている。

スヴェタ・ゴラの丘
この丘も周りを緑いっぱいの森で囲まれ、その外側をヤントラ川がぐるりと囲んでいます。ここには、ヴェリコ・タルノヴォ美術館とアッセン王のモニュメントがあります。
アッセン王のモニュメントはイヴァン・アッセン1世、ペタル、カロヤン、イヴァン・アッセン2世の4人に捧げられたもので、4人の騎馬像が、剣を思わせれようなオベリスクの足元を飾っています。
このモニュメントの前から、川を挟んで対岸の旧市街の街並みをながめられます。

ホテルの部屋のバルコニーからは急斜面に張り付くようにして建つ美しい街並みとヤントラ川の流れ、中洲のような感じに突き出した緑の中にアッセン王のモニュメントとヴェリコ・タルノヴォ美術館と素晴らしいが眺めが楽しめました。


ヴェリコ・タルノヴォ HOTEL MERDIAN BOLYARSKIにチェックイン
このホテルは市内を大きく蛇行して流れるヤントラ川の川岸に建てられていて道路側の正面玄関から入ると宿泊する部屋へは下の方へと下りていく。
−1階のレストランでブルガリア風ハンバーグの「キョフテ」の夕食。レストラン前のバルコニーからの緑の眺めが心を落ち着かせてくれる。














 
 日程 7日目 5月20日

8時30分 ヴェリコ・タルノヴォのHOTEL MERDIAN BOLYARSKIをチェックアウトしスカザンラクへ。

途中の峠にあるレストハウスで名物のヨーグルトを食べて休憩。

9時30分 カザンラクのバラの農場に立ち寄り。
ブルガリアは世界最高峰のバラの香料の産地として有名で、世界中で作られるローズオイルの約7割がブルガリア産だといわれるほどで、高級ブランドの化粧品や香水などにも使われています。
2万種類以上もあるというバラのなかでも、特に香りがよいとされ「バラの女王」と称されるのがダマスクローズです。
2週間後にはここカザンラクで「バラ祭り」が開催されます。
そんなバラの産地・カザンラクのバラの農場に立ち寄ってもらいました。
バラの花の摘み取りは早朝に行われるとのことで、この日の摘み取り作業は終わっていて、一面に広がるダマスクローズの農場にはいくらかの花が残されているだけでしたが、それでも辺りには甘い香りが漂っています。
市内に入って立ち寄ったダマスクローズを使った製品のお土産屋さんではバラの花からダマスクローズオイルを蒸留する様子が紹介されていました。

トラキア人の墳墓
カザンラクでのもう一つのお目当てはトラキア人の墳墓の見学です。
カザンラクのトラキア人の墳墓は、ブルガリア中部の町カザンラク近郊のレンガ造りの丸天井型地下墳墓(カタコンベ)です。
古代には、カザンラクはトラキア人の首都セウトポリス近郊に位置していたと言われています。
トラキア人は、紀元前に栄華を誇った民族であると考えられていますが、現在でも多くの謎を残しています。
神秘に包まれている民族であるトラキア人によって建造されたと推測されている古墳が、「カザンラクのトラキア人の墳墓」として、1979年に世界遺産として登録されました。
この墳墓は、第二次世界大戦の際、防空壕を掘ろうとしたところに偶然発見。残念ながら盗掘されて副葬品等は殆んど無くなっていましたが、壁や天井の壁画は鮮やかに残されています。
現在一般公開されているのはレプリカで、数名の小グループに分かれての入場見学となります。
入口を入ってすぐは副葬品等の展示スペースがあり、その先は屈まなければ入れない低い天井と狭い回廊。そこを抜けた先の丸屋根、円形の埋葬室とから成っています。
回廊や埋葬室の壁面や天井の壁画は雨水等が流れたシミも見られますが、戦闘シーンや素晴らしい馬が描かれていて目を惹きますが、丸い天井部分には座っている夫婦(王と王妃と言われています)が互いの手首をつかみ、告別の身振りをしているシーンが描かれています。
これらの壁画は、ヘレニズム時代のブルガリア美術のなかで、最も保存状態の良い傑作であり、歴史的な価値に留まらず、当時の芸術としても、トラキア人による作品の中で、傑出したものであると考えられています。



カザンラク市内に戻りレストランで煮込み料理の「カヴァルマ」の昼食。

12時45分 カザンラクを後にして次の観光地のコプリフシティツァへ















 



 日程 7日目 5月20日

12時45分 コプリフシティツァ到着。

コプリフシティツァ
ソフィアから東に115km、ブルガリアには多くの美しい村が多くありますが、中でもコプリフシティツァ村内の388軒の建物が世界文化遺産に登録され、その内の7軒は一般に公開されている。
14世紀にオスマン朝の侵入で土地を奪われた人々がこの山奥に住み始め、18−19世紀になると逆にオスマン朝領土内での商業活動が認められ、それにより得た富を原資にして競い合うようにして、今に残る豪華な屋敷を建て始めたのです。

オスレコフの家
コプリフシティツァ村の大金持ちになったネンチョ・オスレコフ。彼が1856年に建てた家が「オスレコフの家」として、一般公開されています。建物内部は1階部分は綺麗に整理された農家の台所といった感じだが、2階部分は豪華な内装、調度の部屋。毛織物の作業、取引の場所としても使われていたとのこと。

リュトフの家
富豪のタパロフによって1845年に建てられたが1906年にリュトフの手に渡り「リュトフの家」と呼ばれる。
左右対称の外観と落ち着いた感じで豪華な内装。半地下の土間のような部屋にはこの地方の伝統的な織機や民族衣装、フエルトのじゅうたんなどが展示されている。

カブレシュコフの家
村の奥の方、高台に位置するのが、1845年に建てられ、村で最初に公開されたのがトドール・カブレシュコフが生まれた「カブレシュコフの家」。
左右対称の建て方はリュトフの家と同じですが、茶色の壁と白い縁取りが強烈な印象を与えます。
内装の豪華さは他の屋敷と同様ですが、2階中央の半円形の出窓の部屋は天井も含めて明るい素晴らしい部屋です。
外に出てみると、家の前には彼の銅像が拳銃を持って立っています。
後に4月蜂起といわれるオスマン帝国からの独立のきっかけを作ったのがこのトドール・カブレシュコフです。そして25歳にして非業の死を遂げるのです。

青の生神女正教会
オスレコフの家から、美しい村の様子を眺めながら坂を上がって行くと、数分で到着する建物全体の青色があまりにも美しい生神女正教会。
生神女とは正教会において「聖母マリア」を意味しています。
トドール・カブレシュコフが眠るの教会です。

カラチェフ橋
カブレシュコフの家から数分下った所に、町を南北に流れるトポルニツァ川に流れ込む細い川があります。そこに架かる中央が盛り上がった石橋がカラチェフ橋です。細い川に架かる車も通れない小さく可愛らしい橋です。
1876年4月20日、トドール・カブレシュコフが銃を発射したというのがこの橋。他にも複数のメンバーがいましたが反乱のリーダー格が彼でした。
ここからの銃声により、やがてオスマン帝国への抵抗がブルガリア全土に広がっていきました。この反乱運動を徹底して弾圧しようとしたオスマン帝国ですが、そのやり方があまりに残虐であるとヨーロッパ各地で報道されると、ブルガリアに多くの同情が集まることとなりました。
そして翌年の1877年、ロシアがトルコに宣戦布告して露土戦争となり、4月蜂起から2年後の1878年に、ブルガリアは独立を果たすのです。
そんな悲惨な過去と美しい住居が同居するコプリフシティツァ村
ブルガリアの歴史に重要な意味を持つコプリフシティツァ村ですが、今はモニュメントを見なければ銃声が鳴り響いたとは思えないほどのどかな雰囲気しか感じられません。




15時50分 コプリフシティツァ村での観光を終えてバスはソフィアへ(110km/約2時間)

17時50分 ソフィアのBESTWESTERN HOTEL EXPOにチェックイン、ホテル内のレストランで夕食。






                                     
   PART 6 へと続きます。


PART 1:ブカレストへ  トゥルゴヴィシュテ  ホレズ修道院

PART 2:シビウ  ビエルタン要塞教会  シギショアラ歴史地区
PART 3:サスキズ要塞教会  ブラショフ  ブラン城
PART 4:シナイア  ブカレスト  イワノヴォ岩窟教会
PART 5:ヴェリコ・タルノヴォ  カザンラク  コプリフシティツァ
PART 6:リラの僧院  ボヤナ教会  ソフィア  帰路



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陽光のマルタをめぐる8日間

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