おまかせルーマニア・ブルガリア10日間

2018年 5月 14日 〜 23日
H.I.S. Impresso (添乗員:新堀友子さん)
に参加して

                   
PART.4   シナイア   ブカレスト   世界遺産イワノヴォ岩窟教会





 





ルーマニア国旗









日程 5日目 5月18日

10時30分 ブラン城の観光を終えてバスはシナイアへ。

11時30分 「カルパチアの真珠」シナイアに到着。
シナイアでの観光はシナイア僧院とペレシュ城。

シナイア
1874年までは普通の村だったのですが、貴族のカンタクジオが、シナイアと新しく名づけました。ブチェジ山麓の、針葉樹森に囲まれたリゾートです。近くには、プラホヴァ川が流れています。一番の観光スポットは、ドイツ・ルネサンス様式のお城・ペレシュ城。1875-1883年、当時の国王カロルI世によって造営され、歴代の国王の夏の住居として使われてきました。現在は博物館となっており、高価な絵、タペストリー、家具、武器のコレクションなどを見ることができます。隣には、規模の小さい「ペリショル城」もあります。  
現在のシナイアは、夏は避暑地、冬はスキーと大自然を満喫できるリゾート地として人気があります。また、「カルパチアの真珠」と表現されるほど美しいことでも知られています。

そこにあるシナイア僧院ですが、この僧院の「シナイア」がそのまま地名となったと伝わる程、長い歴史と重要な意味を持っているのです。

シナイア僧院
17世紀に近代まで続いた貴族の名門として知られた、ワラキア公カンタクジノがこの地を訪れたのを記念して建立された僧院。
シナイア僧院と通称される施設は,教会や僧坊など幾つかの建物から構成されています。
門を入って正面に見える大教会は、ルーマニア王国の最初の皇帝となったカロル1世が1846年に建立したもので、新しい大教会です。3つの尖塔や横ストライプの壁が特徴的な美しい教会です。
木製のドアがある礼拝堂入り口にある見事なイコン画(フレスコ画)。イエスキリストの最後の晩餐の様子が描かれています。
そして、左側の門をくぐった所には白い壁と黒い屋根の古い教会(小教会)があり、この教会は17世紀末にカンタクジノの跡を継いだブルンコヴェアヌ公が細部を増築した以外は、設立当時のまま保存されています。
入り口のフレスコ画とドーム天井が美しかったです。
どちらの教会も入口と天井の窓から差し込む光だけで、薄暗いのですが、正面や内部の壁画が色鮮やかで美しく素晴らしい教会です。内部の写真撮影は不可でした。

ペレシュ城
ルーマニア中央部、大自然が豊かな観光地のシナイアにある有名なドイツ・ルネサンス様式の宮殿。
1875年から8年もの歳月をかけて、カロル1世がルーマニア王室の夏の離宮として建てた宮殿です。
大きなアレエア・ペレシュルイ通りから、ペレシュ城へは少し長めの下り坂となります。
坂を下るとレストランやカフェがある広場に到着。
広場を抜けて門をくぐり先に進むと一気に視界が開け、シナイア渓谷の見事な大自然の中にペレシュ城が見えます。
ルーマニアの中では最も壮麗な城と称されるほど美しく、周囲の大自然と美しく調和しています。
宮殿内の部屋数は160はあるといわれ、はカロル1世が集めた彫刻品、絵画などの美術品や、金銀、中世の武器などが展示される博物館になっています。
ペレシュ城も内部の写真撮影は禁止でした。
噴水が設置された城の前の庭園。そこには数々の彫刻が見事な姿で並んでいます。
それぞれがとても豊かな表情をしていて、小型の竪琴を持ち、子供を抱いている女性の像もあり、穏やかな雰囲気が伝わって来るのですがそれらの彫刻と共に大砲も!
この庭園からは、美しいシナイアの渓谷が一望できます。


16時 シナイア僧院とペレシュ城の観光を終えてブカレストへ。

17時30分 ブカレスト着 凱旋門を見学後 CARO GOLF HOTEL にチェックイン。


















 
 日程 6日目 5月19日

8時 ホテルをチェックアウトしブカレスト市内観光へ

ルーマニアの首都であるブカレストがあるのはワラキア地方。一帯は、ルーマニア語で「ルーマニア人の土地」を意味する「ツァラ・ロムネアスカ」と呼ばる長い歴史を持っています。
ブカレストは、20世紀初頭には「バルカンの小パリ」と呼ばれるほど美しい街並みを誇っていましたが、第二次世界大戦の戦火で多くが焼けてしまいました。
戦後は社会主義の国となり新しい街造りが行われ、大きな無機質な建物が次々に造られました。
しかしながら一方で旧市街地も再開発され、古きブカレストの良さも復元されています。

ブカレスト最古のクルテア・ヴェケ教会と旧王宮跡
15世紀、小説「吸血鬼ドラキュラ」のモデルとなったヴラド三世が砦を築いた跡とされます。
旧市街地の南東にある旧王宮跡の東隣りにある、クルテア・ヴェケ教会が出来たのは1559年のこと。
この付近はブカレストで最も古いエリアでしたが、大部分は地震や火事で失われました。ブカレスト最古の教会とのことですが外観は修復されたのか綺麗です。
レンガ造りの大きな教会です。旧王室跡から比べると完全な形で今も残っています。
教会自体はルーマニア正教会です。内部の装飾は見事です。
入口近くの部分の壁には建設時に描かれたフレスコ画が残っており、歴史をを感じることが出来ますが、それ以外は戦後に修復されされた感じです。

ブカレスト大学図書館
ブカレスト大学図書館周辺は、1989年のルーマニア革命で重要な場所で、図書館前は大学広場と呼ばれます。
付近を歩くと、ここから次に紹介するルーマニア共産党本部庁舎前までの広場に多くの民衆が詰めかけ、それが歴史を大きく変える革命に繋がる舞台となったことが本当なのだろうかと感じるほど美しい佇まい。しかし当時は図書館も影響を受け、多数の本が焼け落ちたのです。
図書館正面の銅像は、カロル1世の騎馬像。初代ルーマニアの国王であり、今でもルーマニアの人々から敬愛されている人物です。

歴史を変えたルーマニア共産党本部庁舎(旧庁舎)
ブカレスト大学図書館に隣接するのがルーマニア共産党本部庁舎(旧庁舎)です。東欧革命と言われる一連の流れの中で起きたルーマニア革命は、1989年12月16日から26日の出来事でした。12月16日、ルーマニア西部のティミショアラでデモと暴動が発生。そこに治安警察が発砲し多数の死傷者が出たのです。
24年の間、ルーマニアの大統領として権力を握っていたニコラエ・チャウシェスクは、周辺諸国で起きた共産政権打倒革命の流れと、国内でデモが発生したことに危機感を覚えます。そこで自分を支持する人たちを集めて集会を開いたのが、このルーマニア共産党本部庁舎前で12月21日のこと。
演説をしていたチャウシェスクですが、突如聞こえた爆発音。そして民衆の異変を感じ演説をストップします。やがて、自分を支持する人たちの集まりだったはずが反チャウシェスクの声が高まっていき、狼狽する様子が放映されたのです。大統領夫人は、マイクを通して静まるように訴えかけましたが声は止みませんでした。
翌日になると鎮静化とは逆に、打倒チャウシェスクの大きなうねりに。鎮圧を命じ戦車まで動かして民衆を蹂躙するのです。更なる鎮圧を国防大臣に命じますが、拒否した大臣はなぜか死亡。大統領による殺害と判断した陸軍が反チャウシェスクに合流する事態となり、大統領夫妻はルーマニア共産党本部庁舎の屋上からヘリコプターで逃走したのです。
しかしながら翌日23日にはルーマニア革命軍によって逮捕され、前述のトゥルゴヴィシュテに連行され1989年12月25日のクリスマスには夫婦ともに公開の銃殺刑に。そして26日には暫定政権が出来るという極めて短い間に起きた「革命」だったの
旧共産党本部庁舎前には、革命での犠牲者への慰霊碑が建立されています。付近は革命広場と呼ばれていて、そのモニュメントの一部は革命で流された血をイメージして赤色に塗られています。賛否両論が今でもありますがそのまま残されています。

超巨大な国民の館(国会宮殿)
日本円にして当時の金額で1500億円。1984年から約6年間、チャウシェスクが作らせた国民の館(国会宮殿)の費用です。これには同時並行で作られた周辺道路と周囲の建物の費用は含まれていません。当時でその金額ですので、現在に換算すればとてつもない金額となるのです。
ルーマニア革命では、一部が壊されることになりました。そして、最終的な完成は1997年となります。
国民の館とは表向きの名前で、実際はチャウシェスク一族のための建物でした。部屋数は3,107もあり、内部はあらゆる場所に純金の装飾が施されています。贅の限り尽くした建物ですが、国民の生活は貧困レベルに落ちており、この建物こそ革命に繋がったきっかけとも言われているのです。
現在は国際会議やコンサートなどの会場として使われていて、観光客の撮影スポットになっています。
建築物としては世界一大きな米国防総省に次ぐ二番目。あまりに巨大なので撮影には苦労します。

ブカレストの凱旋門
ブカレストの美しい凱旋門です。こちらも大きな建造物となりますが、第一次世界大戦勝利を記念して1922年に作られました。当初は漆喰でしたが、1930年に有志の建築家によって作り替えられパリの凱旋門を思わせる現在の姿となっています。
中心地からはやや離れているのでパリのシャンゼリゼ通りのような賑やかさはありません。

クレツレスク教会
ブカレストの重要な建築物であるクレツレスク教会は1720〜1722年の間に建立された正教会です。その当時のルーマニアは3つに分かれていて、ブカレストが位置している国はワラキアと呼ばれており、その頃のワラキアはブランコヴェアヌ公によって統治されていました。クレツレスク教会の建立者はヨルダケ・クレツレスク宰相と彼の奥さんであったサフタ、ブルガリア公の一人の娘です。
クレツレスク教会はヨルダケ・クレツレスク宰相の名前を冠しています。当時、クレツレスク教会が位置している場所の近くにはブカレストの北に県境があったため、ヨルダケ・クレツレスク宰相はその教会の付近に宿なども建設しました。
クレツレスク教会は典型的な正教会の建築です拝廊、身廊と祭壇でできており、上から見るとラテン十字架の形をしています。身廊の上にある塔と拝廊の上にある鐘楼には長細い窓が設置されており、教会の入り口には石づくりの柱の縁側があります。
元々、教会の外壁はコーティングされていましたが、1935〜1936年の間に改修された際、赤いレンガのままでされ、現在にいたります。縁側の壁画は建設時のオリジナルですが、教会の中の壁画は1859〜1860年の間、ゲオルゲ・タタレスクというルーマニアの画家によって描かれました。

カルク・ベレ
昼食は1879年より続く老舗レストランで。
店内は広く、宮殿か博物館にいるような雰囲気の中で東地中海からバルカン半島各国の料理の「ムサカ」を。



カルク・ベレでの昼食を終えてルーマニアの首都ブカレストからブルガリアのイワノヴォへ。








ブルガリア国旗









 



 日程 6日目 5月19日

ルーマニアのブカレストからブルガリアへの途中、国境手前でバスを降りブルガリアのバスに乗り換えて国境を越えます。
国境を越えた所でブルガリアの通貨の「レヴァ」に両替。

15時少し前にイワノヴォに到着。
世界遺産イワノヴォ岩窟教会
イワノヴォの岩窟教会群はブルガリアにある岩山を刳り貫いて作られた聖堂、修道院などの建造物群をさすユネスコの世界遺産としての登録名は「ルセ州イヴァノヴォの岩窟教会群」。
ルセ村の南20 km にあたるルセンスキ・ロム川沿いにそびえる岩だらけの堤にある(川からの標高は32 m である)。
イヴァノヴォの岩窟教会群は、北ブルガリア、ルセ市の20km南に位置し、他のブルガリアの岩窟教会と違って、フレスコ画がよく保存されています。
岩を刳り貫いて作られた聖堂などの建造物群は大きな修道院を成している。この地方の洞窟群には、後のブルガリア正教会総主教ヨアキムが居を定めた1320年代以降17世紀まで、修道士たちが住むようになっていた。
近づいて見ると、隠遁していた中世の修道士たちの生活の様子を窺うことができます。 彼らは当時の首都であったタルノヴォを後にし、静謐な隠遁生活の道を選んだのです。
彼らは、僧房、教会群、礼拝堂などを硬い岩から切り出しており、修道院建造物群はおよそ40もの教会群を頂点に戴いていた。
周囲には、他の宗教施設用地が 300ほどあったとされるが、そのほとんどは現存していない。修道院の建築物群の名声は、その多くを13世紀から14世紀にかけてのフレスコ画に負っている。それらは教会群の内の5つの教会に保存されており、中世ブルガリア美術の傑作として評価されている。
最も有名なフレスコ画として「教会」洞窟の壁に描かれている「ユダの裏切り」や「ミルラを捧げる女性たち」などが挙げられます。

1979年にユネスコの世界遺産に登録された。



16時 イワノヴォ岩窟教会の見学を終えてヴェリコ・タルノヴォへ






                                     
   PART 5 へと続きます。


PART 1:ブカレストへ  トゥルゴヴィシュテ  ホレズ修道院

PART 2:シビウ  ビエルタン要塞教会  シギショアラ歴史地区
PART 3:サスキズ要塞教会  ブラショフ  ブラン城
PART 4:シナイア  ブカレスト  イワノヴォ岩窟教会
PART 5:ヴェリコ・タルノヴォ  カザンラク  コプリフシティツァ
PART 6:リラの僧院  ボヤナ教会  ソフィア  帰路



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