エジプト旅日記




2003年11月25日−12月4日 びっくりエジプト10日間(阪急旅行社
・トラピックス 添乗員・鈴木百合子さん)に参加しての日記です。


 11月25日

定刻通りの11時にKLMオランダ航空のボーイング747−400型機は成田空港の第1ターミナルを離れた。
小雨にけぶる成田を後にオランダのアムステルダム目指して11時間の長い飛行が始まった。
でもこの機の座席は今までに乗った他の会社の同型機に比べて、ちょっと狭く感じる。

個人用のモニターも無い。
いまや長距離路線では、エコノミークラスでも殆どの会社がパーソナルモニターを備えている。
おまけに割り当てられた座席は、スクリーンからは遠く離れていて、しかも3人掛けの真ん中。
通路側の座席と代えて欲しいと申し出るも、満席を理由に断られた。でも、機内ではいくつかの空席が、それも通路側に!
いつものような旅行に発つ時に感じる華やかな気分にもなれずに、窮屈で退屈な長い旅はこうしてスタートした。
昼食には何と
カツ丼が出た(選択の余地がなかった)。機内食にカツ丼は始めてだがあまり美味しくなかった。
ロシア上空の単調なフライトに飽きて、後部のちょっと広い場所でストレッチをしていたら、日本に留学をしていて、故郷へ帰る途中の英国人の青年に出会った。
彼の日本語はとても流暢で、かなり長いこと話し込んでしまった。
時には大きな声になったり、笑ったりしていたら乗務員に注意された。
ちょうどその時に、すぐ横のクルーオンリーと書かれた扉が開いて中から日本人のスチュワーデスが出て来た。
「この中は?」と、聞いて覗いて見ると、何と上に真っ直ぐに階段が架かっていて、そこには8人が仮眠出来る部屋が有り、交代で2時間ずつの休憩を取るとの事。
このジャンボ機の前の方は、上が大きなコブのように出っ張っているから2階席はわかるけれど、後部にはそんなコブも無いのに・・・・相当狭いんだろうけど、ちょっと不思議な発見!
現地時間の午後3時にアムステルダム・スキポール空港に到着。
カイロ行きの便が出るまでは4時間半もある。でもこの空港は広く、施設、免税店等が充実している事でも名高い。
空港内に国立博物館のコーナーがあり、小さいけれどレンブラントの自画像も展示されていた。
まだ旅行は始まったばかりなので、買い物をする訳にもいかず、ただブラブラして時間を過ごす。
長いこと狭い機内に閉じ込められていた後なので、苦にはならない。
KLM553便は予定の19時30分よりやや早く、目的地であるエジプト・カイロに向けて離陸。
4時間ちょっとの飛行で、時差もあり日付けが変わって午前0時半過ぎにカイロ国際空港に無事到着。
入国前にビザを取得。
といっても両替店で$15の印紙を買ってパスポートに貼るだけ。入国審査はいたって簡単。
でも30人もの団体なので結構時間が掛かる。
預けた荷物を受け取り、ナイル川畔のヘルナン・シェパードホテルへの到着は午前2時を過ぎていた。
鍵を受け取りすぐに部屋に。
かなり広い部屋だが、床のカーペットはちょっと磨り減っている。大きなベッドが2台、1人で2つのベッドはいらないよね!
空っぽの冷蔵庫があるのみでミニバーは無く、湯沸かし器もない。テレビのリモコンは効かない。
窓のカーテンを開けて見ると、見えるのは薄汚れたビルの窓と屋根だけ。ガッカリ!
サービスの甘いお菓子を食べて、バスタブにお湯を貯めるのも面倒なのでシャワーを浴びてすぐにベッドに!

長い、長〜い1日だった。疲れた、おやすみなさい。
                   
                   
11月26日

朝7時半に起床。まだ眠い。体調はあまり良いとはいえない。
食欲も余り無いが、朝食後はカイロ市内の観光に。
バスの最前部には、銃を携えた観光警察の警察官が同乗して、我々観光客の安全を守ってくれる。
まず最初は、ホテルすぐ近くのエジプト考古学博物館へ。
今日は、カメラやビデオの持ち込み料は不要ということだった。ちょっと得をした気分。
入り口付近には駐車場とかは無く、次々にやってくる観光バスでかなり混雑している。
それらの人を掻き分けるようにして門をくぐり、X線検査を通り中庭、そして館内へ。
入り口入ってすぐ目の前には、米国から返還されたばかりという「ラムセス一世のミイラ」が。
1階はピラミッドのキャップストーンや、大きな石像、木製の船、おびただしい数の木棺や石棺、彫刻等々がぎっしり。
2階に上がると、ここにはもっと多くの棺やミイラが。
説明文等はなく無造作にほこりをかぶっている。
その先にはお目当てのツタンカーメンの秘宝が。
まずびっくりするのが棺と共に内臓を納めるカノポス容器等の副葬品を納めるための、部屋とも思える程の大きな入れ子式の金箔張りの厨子が4重に。
その中には3重の人型棺が。
外側の棺は金箔張りだが、一番内側のは純金製で今なお燦然と輝いている。
そのそばには誰でもがお馴染みの、あのツタンカーメンの黄金のマスクが展示されている。
このマスクがどうやってあの棺の中に納まるのか不思議としかいいようがない。
大量の見事な副葬品にもビックリ!
ツタンカーメンの遺体(ミイラ)は墓地に安置されているとの事でここには無い。
別料金でファラオ達のミイラが安置された部屋を見学出来るが集合時間が迫っているのと、もう充分たくさんのミイラを見たので今回はパスして、慌ただしく館内を一周し、時間に追われるようにして博物館を出る。
もっと時間をかけてじっくりと見学したいと思った。
エジプト料理の昼食を食べて、カイロ市内を横断するようにしてモハメットアリ・モスクへ向かう。
ちょうど、昨日から28日までの4日間はラマダーン明けのお祭り(例年だと3日間だが今年は28日も含めて4日間との事)のため市内はどこも人と車で大賑わい。
モハメットアリ・モスク近くの墓地にも大勢の市民の人達がお参りに訪れている。
モハメットアリ・モスクの中もすごい人だ。
特に子供の姿が多い。みんな人なつっこくて、カメラを見るとポーズを取ったり、手を上げて飛び上がったり、自分の名前は○○○だとか皆が大騒ぎ。
この後パピルスの工房に寄り、昨日は遅い到着だったので一旦ホテルに戻り休憩。
でも、はるばるとカイロ迄来て部屋で一人寂しく!なんて我慢できない。
再び雑踏の中に戻る。
タクシーや観光用の馬車等の客引きの声に適当に返事をしながら、まずは目の前に聳えるカイロタワーへ行こうと思い、タハリール橋を渡って、ゲジラ島へ。
歩道は人で溢れんばかり。
ここでも皆、元気に話掛けてくる。驚いたことに高校生位の女の子までも!
なんだかエジプトが好きになってしまいそう!
でも、道路の横断は慣れるまでが大変だった。
カイロの市内には殆ど信号が無いのだ。勿論横断歩道だって見当たらない。
一方自動車は、車線なんて関係なくどんどん走って来る。それも途切れることも無く、次々と。
しばらくこっちの人達の横断するのを見ていて、何となく要領を覚える。
やっとの事で目指すカイロタワーに着いてみると、ここにもすごい行列。
上に昇ったら夕食の時間には間に合わないのは確実。残念だがあきらめて、来た道を引き返す。
橋の上から、夕暮れの川面に赤や青のイルミネーションをピカピカさせた遊覧船が、みずすましのように走り回るのを見ながらホテルに戻り、バスで夕食のレストランに。
夕食はマトン(ケバブ)料理。
食事の度にエイーシと呼ばれる直径10センチくらいの丸く薄いパン(インドのナンのようなの食感)にゴマ等のペーストを付けたり、料理を挟んだりして食べるのだがこれが結構おいしかった。
食後はさすがに眠くなって来た。
でも今日は、バスタブを泡でいっぱいにしてゆっくりと浴槽に浸かってベットに入った。


11月27日

朝早く起きて今日は、あのクレオパトラゆかりのアレキサンドリアへ。
カイロからは砂漠ロードを通って約3時間。
砂漠ロードと言っても、写真で見るような一面に砂だけという訳ではない。
バスの窓から見える景色は、ピラミッド通りを過ぎて建物が姿を消すと、あとは延々と白っぽい砂と岩の荒地が続く。
時々小高い丘があったり、ひと塊りの木々があったりするが、家屋の姿は疎らにしか見えない。
それでもアレキサンドリアに近付くと果実や野菜類の畑が見られるようになる。
ガイドさんの話では、土地は養分豊かなので水さえあれば成育は良いとの事だが、年間を通じて雨量の少ないここでの水の確保は大変そう。
アレキサンドリアでは、まずグレコローマン博物館に。
こじんまりとした館内はカイロ博物館のような混雑もなく、いくつかのミイラとクレオパトラの胸像やカエサルの像、聖牛アピスの像、等々がありロゼッタストーンの複製も展示されている。
博物館を出て古く狭い道を路面電車やタクシー(どちらもかなりの年代物)をかきわけるようにして進む我々観光バスに向かって、子供達だけでなく若い人や建物の壁際に座って水タバコを吸うお年寄り、時には警察官までもの大勢の人が、目が合うと手を振ってくれる。
こちらもお返しに手を振って一瞬の出会いを楽しむ。
今日も休日のために、路上にも露天商が出ていてどこも人であふれかえっている。
こんな中をバスはポンペイの柱へ。
セラピス神殿跡の見晴らしの良い丘の上に高さ27メートルの花崗岩製の円柱が青空に向かって聳えている。
ある本によると、これと同じ柱が400本も立てられていた神殿の跡だとの事だが、ちょっと信じられない。
神殿があったのは事実だろうが、この高さの柱に支えられた建造物など現在の技術ですら困難と思える。
誰かの権力者が神殿の跡地に何かのモニュメントとして立てたものと思える。
この柱の前には、比較的新しいスフィンクスが置かれている。
次に訪ねたのは、地下のカタコンベ。
螺旋階段をグルグルと下りて行くと、やや広い部屋に出た。
この部屋はお墓ではなく、日本での法事のようにお参りの後に食事をした場所らしい。
さらに下に降りて行くと、周囲の壁一面にたくさんの四角い穴が明けられている部屋になる。
ここに棺が安置されていたとの事だが、今は空っぽ。
別の通路の奥には、中央に石棺が一つだけ置かれていて、そこの壁だけに彩色された宗教画が描かれていて、この場所がこのカタコンベでのメインの場所と思える。
カタコンベを出ると、近くのモスクからお昼の礼拝のコーランが聞こえてきた。
モスクと言えば、モスクにはミナレットがつき物だけど、今まで見てきたトルコや東南アジアの国々のミナレットはいずれも丸くてロケットのような形だったが、エジプトのそれは殆どが四角柱で、中には中段さらに上部が六角形や八角形、あるいは丸形にと形が変わったりとする。
さらに夜にはカラフルに電飾されていたりしてとても目立つ。
昼食は地中海に面したレストランでシーフード。
食後、目の前に広がる海水浴場へ。
冬といっても結構暖かくて、水に入っている人も多く水上スクーターなどの客引きも声を掛けてくる。
その後、かつてクレオパトラの宮殿があったと言われる場所に建てられた、見るからに中世の城といった堂々たるたたずまいのカイトベイ要塞を見て、こちらは超近代的な外観のアレキサンドリア図書館の前を通って、来た道と同じ砂漠ロードをカイロに引き返す。
香水店に寄った後に、地元のスーパーマーケットに寄ってもらった。
期待していたアルコール飲料は無かった。
ガイドさんによるとエジプトでは宗教上の理由により、スーパーや一般のお店にはアルコール飲料は置いて無く、外観ではわからないようなお店で扱っているとの事だった。
今日の夕食は中華料理。
エッ!これが・・・というほど中華料理らしくない料理だった。エジプトで中華料理を求めるのは無理なのかも?

11月28日

今日は一日ピラッミドの観光。
ホテルからピラミッドのあるギザまではバスで30分位。
バスは、入り口のゲートを入って一番手前にあって、しかも一番大きな、クフ王のピラミッドのすぐ近くで停まった。
大きい、さすがに大きい。大きな石を綺麗に積み重ねたピラミッドを真近に見るとその大きさに圧倒される。
こっちは北側なので中央やや下に入り口が見える。
ピラミッドはしっかりとした岩盤の上に四角い石を積み上げ、外側は化粧岩で飾られていた。
その様子がわかるように、一番下の段の中央付近には化粧岩が横一列に置かれている。
それ以外は、石を積み上げられた階段状になっている。
本当の入り口の少し下に見学用の入り口があって、そこまでは登って行けるがそれより上へ行くことは禁じられている。
一段の高さが1メートル以上もあって、登るのは大変そうだが、登ってみたい気もする。
次に向かったのは、2番目に大きいカフラー王のピラミッド。
カフラー王のピラミッドの上部には化粧岩が残っている。
このピラミッドの東側には葬祭殿の跡、参道が残されていてその前には後ろ姿のスフィンクスが望まれる。
カフラー王のピラミッドから少し離れた位置には高さが半分位しかない、メンカウラー王のピラミッドがある。
小さいので入るが容易だという理由でこの中に入る事に。
北側斜面のほぼ中央部にある入り口の周りには、角が綺麗に丸く削られた化粧岩も残されていて、建造当時の丁寧な作業が偲ばれる。
入り口からは狭くかなり急な斜坑が下に真っ直ぐに延びている。
この角度は玄室から北極星を望む角度だということだが、当時の人がどうやって作ったのかと思わず考えてしまう。
ピラミッドの大きさに対して玄室はいたって狭い。
天井部分は石をはすかいに組み合わせて崩れないような工夫がなされているのがわかる。
1段の高さもクフ王、カフラー王のピラミッドの半分位しかなく全体の高さも低いので、これなら比較的簡単に登れそう。
以前は「ピラミッドはお墓」と言われていたが、あのツタンカーメンのお墓に納められていた豪華な副葬品を頭に思い浮かべると、ピラミッドの内部はあまりにも寂しすぎる。
どうもお墓ではないのでは?と思えてくる。
この後、三つのピラッミドを一望にする展望台にと向かうが、その途中に工事現場みたに赤錆びた鉄骨やパイプで作られた、遺跡には不似合いな大きな建築物が目に入る。
何でこんな所に!と思ってガイドさんに聞くと、オペラのアイーダの公演のために作られたのだが、採算が取れずに放置されたらしい。
パノラマポイントで写真を撮って、三つのピラミッドを見ながら来た道を戻り、スフィンクスの前に。
スフィンクスは砂漠の中にあるもの、と思っていたのだが、すぐ近くまで商店が並んでいる。ちょっとイメージが崩れてしまう。
スフィンクスも、目の前で見るとやはり大きい。
でも風化には勝てない。何千年か後には形が変わってしまっているかも?
参道に敷き詰められていたアラバスターが一部に残っていて、エジプトが栄えていた時代には人々がスフィンクスを横に見ながら、正面に見えるピラミッド目指してゆるい傾斜の坂道を登って行く様子が目に浮かんで来る。
ピラミッドの近くのレストランで昼食。
昼食後はメンフィスやサッカーラのピラッミドを見に行く人達と別れて、再び3大ピラミッドに向かう。
先程はバスに乗って回ったが今度は歩いて行く事にする。
歩いているとラクダ引きがうるさく、しつこく追ってくる。
まずはクフ王のピラミッドを一周してその大きさに改めて驚く。
南側にピラミッドの中から見つかった「太陽の船」が展示されている博物館がある。
カフラー王のピラミッドの周囲には崩れ落ちた大きな石がごろごろと転がっている。
もしかしたら落ちてくるかも!と恐怖も感じるが、斜面を見上げるとすごいなーと実感させられる。
上部だけでなく、最下段にも化粧岩が残っている。
メンカウラー王のピラミッドの化粧岩の白さに比べると、カフラー王のピラミッドの化粧岩はかなり赤黒い。
メンカウラー王のピラミッドを一回りするのは簡単だ。
でもピラミッドを登るようにして行こうとしたら、笛を鳴らされて注意された。
このピラミッドの南側には、小さいがやはり石を積み上げた王妃達のピラミッドが並んでいる。
三大ピラミッドを堪能してメナハウスオベロイホテルの前のバス停より路線バスに乗りホテルに戻った。
ここのバスは停留所以外でも、手を上げれば乗せてもらえる。そのために、ドアはずっと開けたままだった。
乗客がステップに足を掛けたとたんに動き出す。
運転手は、左手で分厚いお札を握り締め、右手で料金と切符の受け渡しやハンドル操作をし、直前を横断する通行人に注意を払い、さらにお客を捜したりと、器用にすべてをこなす。でもちょっと怖い。
観光バスでは30分位だったが、このバスは1時間以上も掛かった。
それでも無事にホテルに帰って来れた。
部屋に戻りシャワーを浴びてナイル川のディナークルーズに。
クルーズ船での食事はビュッフェ形式でまずまずだった。
ショーでのお目当てはベリーダンスだったが、勿論ベリーダンスも良かったが、30分位も休み無くクルクルと回り続けるスーフィーダンスが見事だった。
何枚も重ねたカラフルなスカートですっぽりと頭を隠したり、取り外して頭上に掲げたり、回しながら円形や四角の箱を操ったりと、とても楽しかった。
スカートはちょっと見た感じでは厚手の重そうな感じ、それをかなりの速さでクルクル回す。なぜ目が回らないのか、とても不思議。
2時間半程のクルーズ中はほとんど船室でショーを見ていた。
イスラムのエジプトでは一週間の始まりは土曜日からなので、金曜日の今日までラマダン明けの休みとあって、この夜も大勢の人々が繰り出して道路は大賑わいだった。
11月29日

今日からは一旦カイロを離れて、シナイ半島の観光に向かう。
ホテルをチェックアウトしてバスに乗り込んで、通勤通学の人達の姿を車窓に見ながら市内を抜けてイスマエレーヤへと向かう。
途中で先日大賑わいだったモハメドアリ・モスクの前を通ったが、あれほどいた人の姿がまったく見当らない。
これが普段の姿なんだろうけれど、何か違う場所のような気がしてしまう。
だんだんと建物が少なくなると、道はやがて広々とした砂漠の中へと入って行く。
2時間程でイスマエレーヤに到着。
ドライブインで小休し数年前に完成した、スエズ運河に架かる唯一つの橋、ムバラク平和橋・別名エジプト日本友好橋を渡りシナイ半島に入る。
この橋は、運河を通行する大型船のマストより高くなければならないのと、こっちのポンコツの車でも走れるように緩やかな傾斜が求められて、全長が9キロにもなってしまったとの事だが、砂漠の中に優雅な姿を見せている。
ただ有料なので(といっても日本円にすれば僅かの額だけど)あまり車は通っていない。
ちょうど中央にさしかかった時に橋の下を大きなタンカーがゆっくりと通り過ぎるところだった。
また橋の中央部付近に日章旗とエジプトの国旗が掲げられた記念のプレートがある。
橋上からの眺めも最高だ。でも駐停車は禁止との事で止まらないほどの低速で橋を渡る。
それと、料金所の所からは2台のバスの前後を武装した警官を乗せた車が警備のために同行する。
しばらくシナイ半島を走り、今度は地下トンネルでスエズ運河をくぐってスエズ市内に。
市内に入ると警備の車だけでなく、パトカーの先導も付いた。
交差点も混雑した所も、サイレンを鳴らしてスイスイと、とても気分がいい。
道行く人と目が合えば手を振ってくれる。
まるで皇族にでもなったかのよう(護送されているとも見えなくも無いけれど)。
スエズでは魚市場を見学して、レストランで昼食。
食後スエズ湾を見ながら休憩を取り、再びバスに乗りパトカーの先導を受け市内を抜けて、地下トンネルをくぐりシナイ半島に戻った。
右手にはスエズ湾、左手にはシナイの荒涼とした山なみを見ながら鉄道線路と平行して砂漠の中、モーセの辿った道を南下する。
30分位でナツメヤシの木に囲まれたモーセの井戸、アイン・ムーサに到着。
底に泥水が溜まっている井戸や砂に埋まってしまった井戸等を見て、近くで暮らすベドウィンの女性手作りの土産用の手工芸品を見てバスに戻り、さらに南下して1時間足らずで本日の宿泊地、ラッセドルに。
ここはスエズ湾に面したリゾート地。
数件のホテルが砂漠と海岸線の間にあるのみで、ホテルの他は何も無い。まだ新しいラマダリゾートの、ゆったりとした居間と広い寝室を備えた、4人位の家族連れ用の一人には広すぎるコテージタイプの部屋に荷物を置き、すぐに目の前に広がる海岸に。
手前はやや白っぽく、その先は青く、さらに群青色にときれいなグラデーションを見せている。
沖合いに向かって100メートル位しっかりとした桟橋が延びていてその先にも海上に休憩用のプラットフォームがあり、こちらは頼りないつり橋で渡って行ける。
ここに寝そべって空を見上げていると、湾内なので殆ど波はないが、その小さい波が柱に当たる僅かの音が聞こえるだけで、気持ちの好い風が吹き渡って行き、時間がたつの忘れてしまいそう。
所々には水中から梯子も掛けられていて、水遊びが出来るようになっている。
水の汚れはなく、透明度も高く、かなりの深さと思える海底が見え、魚の姿もられる。
砂浜にはヤシの葉で作られた小屋やビーチパラソルが並び、ダイブショップ、カウンターバー、バーベキューコーナー等が有るが、シーズンオフの今は、従業員の姿ばかりが目に付き、マリンレジャーをする人の姿は殆ど見当らない。
やがて日が沈み電灯がともると、また昼間とは違った姿を見せ、これぞリゾートという贅沢な空間を作り出している。
おいしいビュッフェスタイルの夕食の後、ロシアンダンスのショーを見て部屋に戻る。
こんなに広い部屋なのに、浴槽はシャワーのお湯を受けるためだけにあるといった感じで、すごく小さい。
バスジェルが置いてあったがどうやって使ったらいいの?って気がしたが、今日はシャワーだけ浴びて、居間と寝室と2台あるテレビのどっちを見ようかなどと考えながらスイッチを入れたら、イラクで日本の外交官が殺害されたニュースをやっていた。
世の中が平和になっていつでも、何処へでも気軽に旅行出来るような時代になって欲しいと思う。
11月30日

午前中はここラッセドルリゾートで自由時間。
朝食前にも海上に突き出すように延びた桟橋の先端まで行き、さらに食後にも。
とても気持ちがよく優雅な時間を過ごせる。
その後ジョギングシュ−ズに履き替えてこの桟橋を走ったら、これまた最高に好い気持。
シャワーを浴びて、昼食を済ませてバスでセントカテリーナへと向かう。
初めのうちは左側にはスエズ湾の綺麗なコバルトブルーの海が見えていたが、シャルムエルシェイクへ行く道と分かれてからは、両側の景色は赤茶色をした花崗岩の山々の連なりが見えるだけ。
時折ナツメヤシに囲まれたオアシスが点在する。
その中でも最も大きなオアシスの中に修道院の跡があるという事なので、バスから降りて石ころのゴロゴロした急な斜面を登ってみる。
頂上近くには積み上げられた石が残っていて、何らかの建物があったのはわかるが、それが修道院の跡と言われてもぴんとこない。
上からオアシスを見下ろすと、ラクダや羊を飼い、畑を作り、すっかり定住しているベトウィンの人達の生活の様子がわかる。
約4時間でセントカテリーナの町に到着。
今日、明日と宿泊するセントカテリーナ・ゲストハウスは砂漠の中にあって、前面に見えるセントカテリーナの僅かの集落やホテル以外には、ただ一本の木すらも生えていないシナイ山とその周囲の山々が真近に望めるのみ。
でもこのホテル(ゲストハウス)はここでは最も規模が大きく、広い敷地に石作りのコテージが点在していて、一段高くなっている所にレストランがある。
与えられたコテージは、レストランには近かったが、入り口近くにあるホテルのフロントデスクからは1キロ程もある。
重い木のドアを開けて中に入ると、左側が居間、右側が寝室にと別れていて、大きなバスタブもあってかなりゆったりとした造り。
明日の朝(といっても今日の深夜)0時半にモーニングコールとの事なので、夕食後はすぐに入浴しベッドに入る。


 12月1日

深夜1時半頃にホテルを出て、ヘッドランプの灯りを頼りに真っ暗な道をシナイ山の頂上を目指す。
頭上には天の川をはじめ、北斗七星、カシオペア、北極星、オリオン・・・・・と、すごくたくさんの星が煌めいている。
登山道は石段の道と、ラクダも登れる緩やかな道とがある。
我々は脚力が異なる集団のために、緩やかな方をラクダに追い越されながら登って行くことに。
途中には3箇所ほど休憩所があり、売店もあって日本での富士登山みたいな感じだ。
トイレは有料だが、室内で休むだけなら無料だし、商品の値段もそれほど高くはなくて、富士山の山小屋よりは、はるかに良心的。
4時半頃に石段の道と合流する8合目に到着。
ラクダで登ってきた人もここからは自力で登る。
日の出は6時10分との事なので、ここの小屋で一休み。
5時に、やがてうっすらと白んできた星空を見ながら、ここからが一番きつい頂上へ続く最後の登り。
貸し毛布の商売をする人の声が聞こえてくると頂上はもうすぐだ。
頂上付近はすでに、カメラを手にした人でいっぱい。
石造りのチャペルの右手を回るようにして東の空が正面に来るあたりで、風の少なそうな場所を探して日の出を待つ。
でも寒い。気温は氷点下とまでは下がっていないと思うが、かなりそれに近い。
東の地平線は朱色に染まって今にも太陽が顔を出しそうだが、中々出て来ない。
幾重にも重なった、手前に見える山々のシルエットがだんだんとはっきりしてきた。
予定の時間を少し過ぎて、小さな光の点から一条の光が射し、あっという間に丸くなり、周囲の山肌を黒色から赤茶色に変えていった。
日の出の瞬間というのはいつ見ても感動するが、もう2度と来る事が無いであろう、モーセが十戒を授かったとされる標高2285メートルのここ、シナイ山からのご来光も美しかった。
しばらくの間、昇って行く太陽と、それにつれて姿を変えてゆく周囲の山の山肌を見てから、来た道を聖カテリーナ修道院目指して下山。
時々赤茶色の周りの山々を見渡して、こんな景色今まで見た事無かったよなぁ!なんて考えながら無事に修道院の前に到着。
すぐにホテルに戻って、朝食を食べて改めて修道院に引き返し中に入って見学。
さほど広くない修道院の中に入って見ると、カイロのエジプト考古学博物館に負けないほどの大混雑。
ここに居る殆どの人は、今朝一緒に山頂でご来光を見た人達だと思われる。
修道院の建物自体や鐘楼等にはかなりの時の流れが感じられ、内部の装飾にも格式と威厳を感じる。
古い時代のイコンやナポレオンの書簡などと共にモーセの井戸や燃える柴など、旧約聖書の時代にタイムスリップ出来る場所となっていて、キリスト教の信者にとっては重要な所であり、シナイ山の登頂と併せて貴重な体験となる場所なのだと思う。
昼食後はセントカテリーナの街まで歩いて行ってみた。
すぐ目の前に見えたのだがかなり歩きでがあった。
郵便局や電話会社等と並んでエジプト料理の店、青果店、写真屋、雑貨屋など一通りのお店は揃っているが品数は少なく、当たり前の事だがアルコール飲料は見当たらない。
ノンアルコールビール2缶だけ買って、途中にあった2軒のホテルへ寄って中の土産物屋さんを覗いて見たが、いずれのお店もあまり商売っ気がなく結局なにも買わずにホテルに戻って、1チャンネルだけしか映らないアラビヤ語の画面を見ているうちに眠くなってしまった。
一眠りしたあと夕飯まで時間があったので、すぐ後ろに聳える山の麓に沿って砂漠を走り回ってみた。
遠くから見ていると何も無いと思っていた砂や岩の間にも所々に、殆どが枯れかかっているが草や背の低い小さな木も生えていて、生命力の強さを見つけ出すことが出来た。
夕食後はリゾートホテルより持ってきたバスジェルで浴槽を泡だらけにして、のんびりと入浴し登山の疲れを癒した。

 12月2日

朝焼けの山々を見ながら朝食をとり、一昨日に通ったオアシスの点在する砂漠の中の道をラッセドルに向けて出発。
雨の少ないエジプトでは当たり前の事なのかも知れないけれど、今日も青空いっぱいの良い天気。
道路は良いし車の数も少なく、快適なそして単調なドライブについウトウトと・・・・・。
途中でシャルムエルシェイクからの道との分岐点にあるドライブインで休憩。
するとすぐ目に前に大きな野生のラクダが!
カメラを手に近付いて見ると、何とごみの山に首を突っ込んでの食事の最中。
逃げ出す素振りも見せずに一生懸命だ。
昼食を取るためにラッセドルのホテルに寄って、すぐにバスに戻りさらに北上。
スエズ運河の下を潜り抜けるトンネルを通ってアフリカ大陸に戻り、バスはさらに砂漠の中の余り変化のない景色の中をカイロを目指す。
いつしか道路の幅も広くなり行き交う車が増えてきた。
車窓から見えていた砂と岩の風景の中にだんだんと建物が多く見られるようになって来た。
セントカテリーナのホテルを出て、途中の昼食を含めて7時間余りで、雑踏のカイロに戻って来てしまった。
2日目に観光の予定だったが、時間の都合で今日にしたハンハリーリバザールに行く。
ここは、土産物を扱う店とカイロの人達が行く店とが渾然となった細い路地が、迷路のように入り組んでいる。
値札が付いて無いので交渉次第で80ポンドと言っていた物が20ポンド位まで、どんどん安くなっていく。
エジプトとは今日でお別れなので、残っているエジプトポンドを全部使い切ってしまった。
というわけで、今晩の枕銭は勘弁してもらおう。
ホテルは最初に泊まったホテルと同じ、ヘルナンシェパード。
今度の部屋はナイル川に面した、バルコニー付きの部屋で、調度品を含めてすべてが綺麗で、最初の部屋に比べると格段に上等の部屋だった。
でも深夜1時にはチェックアウトしなくてはならないんだよね!
夕食後は荷物の整理して、バルコニーからナイル川と対岸のカイロタワー、高層のホテル等の夜景に見とれてベッドに入ったのは10時を過ぎていた。

                   
 12月3日

午前0時30分モーニングコールで起こされて、着替えを済ませ眠い目をこすりながらチェックアウトを済ませると、朝食用にと大きくて重たいボックスランチが渡された。
増えた荷物を持ってバスに乗り込む。
空港に向かう車窓から見ると、道路にはまだかなりの人や車が。
深夜の空港にもかなり多くの人が居て、思わず時計を見てしまう。
手荷物を減らそうと思い、ボックスランチを開けて飲み物はかばんに入れて、ハムやチーズ、りんごはお腹の中に納めて、もったいないなーと思いながらも、残りは箱と共にごみ箱へ。
2時55分にKLM554便はカイロ空港を後にしてアムステルダムへ。
水平飛行に移ってすぐにサンドイッチが出たが、先程食べたばかりなのでパスしておやすみなさい!
いくらも眠らないうちに照明が点り、朝食で起こされる。
次の食事まではかなりの時間なので無理をして食べた。
アムステルダムには現地時間午前7時に到着。
入国手続をして外に出るが、まだ真っ暗。
緯度が高いので冬の夜明け時間が遅いのと、この時期は霧が多いとの事で、中々明るくなって来ない。
それでも通勤の人達で電車には大勢の人影が見えるし、車もたくさん走っている。
気温は5度位で、暖かかったエジプトに滞在していただけに、いっそう寒く感じる。
バスに乗って最初に訪ねたのは、オランダ名物の木靴とチーズを作っている郊外にある農場。
チーズの作り方の説明を聞いた後に木靴作りの実演を見学し、スモークチーズとオニオンやガーリックの入ったチーズを試食。
一番おいしかったスモークチーズをお土産用に購入し、乳牛用の牛小屋を覗いて、再びバスに。
レンブラントの銅像とリーカーの風車の所で下車して写真を撮り、すっかり明るくなったアムステルダムの市内に戻り車窓より観光。
ちょうどアムステルダム名物の跳ね橋の前で赤信号になり、橋が吊り上げられて、大きな船が目の前を通り過ぎるのをじっと待つ。東京じゃあちょっと考えられない。
隅田川の勝鬨橋が開くのを見たのはもう40年以上も前!
東京駅のモデルになったと言われる中央駅の前でバスが止まり自由時間となった。
10人程の人達と連れ立って運河めぐりの観光船に乗って、今度は船の中からの市内観光。
運河と橋、水門、マヘレの跳ね橋、ハウスボート等、水と共存する市民生活の一部を垣間見て中央駅の反対側を回って1時間のクルーズは終わり、元の船着場へ。
再びバスに乗り空港へ戻る途中でオランダの名物料理の昼食に。
最初に出てきたのはニシンの酢ずけのハーリング。次いでゆでた野菜をつぶしたヒュッツポットと大きなミートボール。
そしてデザート。どれもとてもおいしかった。
僅かの時間の滞在だったがアムステルダムの観光を終えて空港に戻り、14時10分発のKLM861便に乗り込んだ。
今度は希望通り通路側の席だったので良かったが、でも11時間のフライトはしんどいよ!
2回の食事と2本の映画、あまり眠れずに成田到着は定刻の12月4日午前9時20分。
本当にお疲れ様でした。
でも近い内に必ずエジプトへは再訪したい。
今度はナイル川を遡ってルクソールやアブシンベルを訪れて見たい。
カイロまでは直行便を使って、ホテルももっとデラックスに・・・・。

                   














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