流砂の道 西域南道とタクラマカン砂漠縦断
11日間

ユーラシア旅行社(添乗員・長田侑子さん)
2013年9月10日ー20日










PART 1


日程6日目(ホータン)まで






 1日目 9月10日(火)
今回の旅行は羽田空港発の中国国際航空CA182便で北京乗り継ぎウルムチに向かう。
ガランとした感じの羽田空港の国際線ターミナル。 14時10分に羽田を離陸して北京国際空港への到着は16時50分(時差マイナス1時間)。
飛行中に機内食。魚と肉との選択だったので、魚をチョイスしたが、味はまあまあだったけど量が少なく軽食って感じだった。
入国審査を受けてターミナルを移動して、19時45分発の中国国際航空CA1295便にてウルムチまで4時間あまりの飛行。羽田から北京間の3時間40分間と比べるとやはり中国は広大です。
新疆ウイグル自治区の区都ウルムチの到着は23時50分。砂漠のイメージの強い地域なのに小雨が降っています。
この旅行中お世話になるガイドの馬さんの出迎えを受けて、前回のツアーでも宿泊した市街の中心部にある海徳酒店への到着は日付が変わって11日の午前1時。

 【 ウルムチ 泊 】










 2日目 9月11日(水)
朝5時45分にモーニングコールで起こされる。眠い。朝食を摂って7時に空港へ。広大な中国なのに時差は無いのでまだ真っ暗。現地の人はウイグル時間というのを使っていてこちらは北京時間に対してマイナス2時間。
搭乗予定の天津航空のGS7501便の出発時間が予定の10時00分から9時に変更になりウルムチ空港を離陸したのは9時05分。
僅かに雪の見られる山岳地帯を越えて行くと突然都市が現れ、10時10分にコルラ空港に到着。
ここから8日間はバスの旅。大型バスに参加者12名とこじんまりしていて、一人で2席使えるのが救い。
車窓から眺めるコルラの街は、最近発見された石油や天然ガス等の地下資源で潤いを見せていて、道路は広々として、かつての中国=デコボコ道というイメージとは全く変わって、いまや建設ラッシュ。道路だけでなく高速鉄道も建設中だとか。
街を出てすぐに砂漠地帯となり、干上がった河やポプラ並木を見るとシルクロードに来たという実感がわいて来ます。
11時5分に、孔雀河の上流の峡谷にある関所「鉄門関」に到着。
前漢の時代にはあったといわれる鉄門関は長安(今の西安)からのシルクロードがタリム盆地に入る最後の砦。
孔雀河沿いのかつて玄奘三蔵も歩いた?絲綢古道をちょっぴり散策。
その後綿花摘みの様子などを車窓から眺めながら、砂漠の中を走って13時に尉梨の街でラグ麺の昼食。
食後もバスはかつてのシルクロードの交通の要衝、若羌(チャルクリク)へと南下。
一面に広がる綿花の畑が姿を消すと、人の姿はおろか、立ち枯れた胡楊など、壮絶で荒涼とした風景が広がる中に咲くタマリスクのピンクの花等を見ながら行くと、突然に現れる旧・孔省海の湖。
砂漠の中、舗装された真っ直ぐに延びる道路の周囲を水と緑の草に囲まれる不思議な感覚。
途中で道路わきにバスを停めて流砂を眺めなあがら、青空トイレ。身体を伸ばしてガイドの馬さんが途中の道端の露店のお店から調達したすいかを食べてリフレッシュ。
19時55分に若羌(チャルクリク)の楼蘭賓館に到着。ホテル内のレストランで夕食。

 【 若羌(チャルクリク) 楼蘭賓館 泊 】











 3日目  9月12日(木)
若羌滞在 「米蘭遺跡」の観光に。
朝10時に楼蘭賓館を出発。オアシス都市らしいニレとポプラの並木道を抜けると荒涼とした砂漠地帯(ゴビ灘)に。
若羌(チャルクリク)から東へ約90km、紀元前2世紀頃から9世紀頃まで繁栄していたと思われる古代都市の遺跡だけが残る米蘭、今はこじんまりとした地方都市のひとつ。
市街地のはずれに米蘭遺跡の入り口のゲートが。といっても案内の標識等も無く運転手さんとガイドさんが記憶を頼りにバスを進ませてやっと到着出来た。
管理人がカメラ持ち込み料一人100元!(約1700円)ずつを集めて小型車に分乗して遺跡へ。
ただの1本の木も生えていない、一面に広がる砂漠の中に佇む米蘭古城。付近に点在する崩れかけた仏塔や僧院の姿に、ゼン善王国の仏教都市として繁栄したありし日の面影が偲ばれます。 第3寺址と呼ばれる寺院跡には中央部に直径2.7mのストゥーパが聳えるが綺麗に修復されているのが残念。それらの遺跡を見て歩くと汗ばんでくる。吹き抜ける風が心地いい。
最後に全員での記念写真を撮って遺跡を後にし、米蘭の街中に戻って昼食を摂って再び砂漠の中を通ってホテルに戻って一休み。
夕食前にバザールを見て回ってから楼蘭博物館へ行ってみた。
米蘭よりも楼蘭美女で有名になった楼蘭の遺跡を見たかったのだけど、楼蘭遺跡は現在は一般公開されていないので、博物館の展示で我慢。
楼蘭故城遺跡の復元模型や楼蘭のたどった歴史、周辺の遺跡からの出土品、楼蘭美女?のミイラ等が展示されていたが、撮影禁止とのことで、カメラは入り口横のロッカーに預けさせられてしまった。
夕食はホテル近くのレストランへ。帰路は遠回りしてライトアップされた市街地を見てホテルに戻ってきた。 

 【 若羌(チャルクリク) 泊 】
















 4日目  9月13日(金)
朝食後、2晩泊まった若羌(チャルクリク)の楼蘭賓館を後にして崑崙の山並みを遠望しつつ、タクラマカン砂漠の東の端を南下して、西域南道のほぼ中央にあたる町、且末(チェルチェン)へ向かいます。
干上がったチャルクリク河、いくつかのオアシス都市が通り過ぎていきます。金曜市で賑わっている街もありました。今ではウイグルの人達はイスラム経を信じています。金曜日はお祈りの日であり休日です。
14時35分、今晩泊まる予定の且末(チェルチェン)の玉都賓館に到着。且末(チェルチェン)の街はここまで通って来たオアシス都市とは比べものにならないほどの近代的な都市です。というより現在建設中。
別棟になっているホテルのレストランで昼食を摂ってすぐに観光に出発。
15時30分に且末古城の入り口ゲートに到着。小型車に分乗していざ出発、と思ったら車が砂地にスタック。
代わりの車を手配するも中々現れず。
その間にゲート脇の扎滾魯克墓葬陳列室を見学。
ここで発掘された竪穴式の墳墓がそのまま残されていて、当時の埋葬の様子がわかる。この墳墓へは14人が埋葬されていたそう。写真撮影は禁止でした。
この近くの遺跡からは、今から約2600年前のミイラが現在160体程発掘されているそう。中には刺青を入れているのも確認されたとか。
程なくしてやってきた車で砂の海を且末(チェルチェン)古城へ。
はい此処ですと言われ車から降ろされた場所は遺跡と言われなければただの砂漠。わずかに遺跡の基部らしき固められた土の塊がいくつか見られるのみ。
ただ周囲には土器の破片や石器らしきものが無数に散らばっていて、かつて人々が生活していた様子は窺がえる。
このような破片が約1800平方kmもの広さに亘って見られるそう。
うーん、そう言われても今は何も遺跡らしき建物跡などは見られないただの砂の海。
ここも写真撮影禁止と言われたが何でなの?
遺跡の観光後、清の時代にこの辺りの大地主だったというウイグル族の邸宅・「地主荘園」を見学し、バザールを見てホテルに戻って昼食と同じレストランで夕食。

 【 且末(チェルチェン) 泊 】













 5日目 9月14日(土)
朝食後、且末(チェルチェン)の玉都賓館を出て 玉の産地和田(ホータン)に向かいます。
和田までは約600km。タクラマカン砂漠の南の端に位置する西域南道をキタローのCDを聞きながらシルクロードを感じながらひたすら西へと向かいます。
いくつかの干上がった河が通り過ぎた中に魚湖という名の大きな湖が出現。広大な砂漠の真っただ中に・・・ちょっと違和感を感じる。
でも”さまよえる湖・ロプノール”の畔に築かれた古代都市のひとつが楼蘭であり、タクラマカン砂漠と共に生活をする人々の集落が点在してシルクロードを形成いたことが実感として理解できた。
途中のかつて漢代に栄えた精絶国の故地であった街、民豊(ニヤ)の地元レストランでラグ麺の昼食。
駐車場の片隅には大きな石炭の塊が。ここへ来る途中でも荷台と同じ大きさの石炭の塊を載せた何台ものトラックとすれ違ったが使う度に小さく砕いて燃料としているようだ。
トラックといえば、荷台に高く積み上げられた荷物のその上に乗用車を積んで走る大型トレーラーを何台も見たがこの国には高さ制限は無いのだろうか?
食後民豊博物館の見学。今の民豊の街の北方に1901年のスタインによって発見されたニヤ遺跡からの出土品が展示されているが、やはり遺跡そのものを見てみたい。この遺跡の見学もかなり厳しいらしい。
お手洗いを借りるために近くの病院に寄ったのでついでに病院内を覗いて見た。
昼休み中とあってあまり人気はなくガランとした感じで、設備等はちょっと古いように見受けられた。
その後は再びバスで西を目指して。
途中でいかにもシルクロードらしいポプラ並木でバスを停めて写真を撮る。
ホータンのムスタグ大酒店には20時45分の到着。すぐに夕食。 

 【 和田(ホータン) 泊 】










  6日目 9月15日(日)
和田(ホータン) 滞在
朝食後、ホータン観光。午前中は漢代ウテン国の首府跡と言われる「マリクワト古城遺跡」の見学。
玄奘三蔵もインドからの帰り道に8か月滞在したとされる、西域での仏教の中心として栄えたマリクワト古城だが、今は地平線の果てまでも見渡せるだだっ広い砂漠の中にわずかに日干し煉瓦を積み上げた土塁のみが点在する。
見学といっても且末(チェルチェン)古城と変わらないような景色の中、点在する遺跡の間を歩き回るだけ。1時間ほどの見学で、近くを流れる白玉川に降り立ち白玉探し。
川の中州のような所ではショベルカーも入って川底から土とともに岩石を掘り上げています。
掘り上げられた岩石の山にホースで水を当ててお目当ての”白玉”を探す途方もない作業をしています。
一攫千金を狙う男達が黙々と作業する姿を横目に、河原に降りて”白玉”を探してみるけれど・・・そんない簡単に見つかるはずもなく適当な石ころを拾ってお土産に。
近くに数軒の集落がありその中で扉の開いている一軒のお宅を訪ねてみると、7人家族のユズディサハさんというお宅で何と奥様は18歳。子供は3人?
以前に、まだ遊びたい盛りの女の子が結婚しなければならないような所があると聞いてはいたけれど、目の当りにするとちょっと複雑な気持ちに。でもこの奥様は幼子を抱き素朴な笑顔とたくさんの家畜に囲まれて幸せそうでした。
その後、またしても綺麗なポプラ並木をカメラに収めて崑崙賓館で新疆名物シシカバブの昼食。
昼食後は毎週日曜日に開催されているというホータンの日曜バザールへ。

バザールの様子は こちら

バザールの次は「ホータン絨毯厰」に向かいました。これは国営の絨毯工場です。
日曜日ということもあって数人の女工さんたちが織りかけの絨毯に向かっていました。2〜5人が並んで座って織っていきますが一日で10cmくらいしか進まないとのことでした。
その後アトラスシルクの工房を見学。
こちらは今日はお休みということで、製品は見られましたが、作業場には人の気配がありません。
新疆では絨毯は女性、シルクは男性の仕事と別れているそうです。
その後は砂漠横断道路の入り口近くにあって砂漠横断道路の一部が展望できる高台に登ってタクラマカン砂漠横断のイメージ作り。
死の海とも言われた砂漠。その海を行く船はラクダ。そのラクダに乗って周辺の砂漠をキャラバンしてかつてのシルクロードの旅を模擬体験。
ちょっぴりタクラマカン砂漠を行く旅人の感慨を味わいました。他の地域から来た観光客が我々の乗るラクダのキャラバンをカメラに収めていました。
ホテルに戻って夕食。

  【 和田(ホータン) 泊 】







                                     
 日程7日目以降は  PART 2 へと続きます。











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