おまかせルーマニア・ブルガリア10日間

2018年 5月 14日 ~ 23日
H.I.S. Impresso (添乗員:新堀友子さん)
に参加して

PART.3  サスキズ要塞教会   ブラショフ   ブラン城





 




ルーマニア国旗






日程 4日目 5月17日

シギショアラ歴史地区の観光を終えて向かった先はシギショアラより20kmのサスキズ。

10時30分 サスキズに到着。

サスキズ要塞教会
トランシルヴァニア地方の中心地、ムレシュ県サスギス村にある要塞教会です。
サスキズの要塞教会が建設されたのもビエルタン要塞教会の建設とほぼ同年代の14世紀のこと。サスギス村の中でも西のはずれに作られています。この教会もビエルタンのそれと同じで、静かな祈りの空間を連想しがちな教会そのものを要塞化して、敵からの攻撃に備えたというものです。
この教会も優美な時計塔から想像出来ない過酷で複雑な歴史があったのです。
高さ7~9mの石造りの城壁に囲まれて、内部の城壁、防御のための「門の塔」と「監視の天守塔」、そして中心にあるチャペルなど、要塞の大部分は当時の状態のまま残されていてビエルタンの要塞教会と共に世界遺産に登録されています。
ただ、サスキズの要塞教会は、他の要塞教会とは違って城壁がないことが特徴で、全体的に優しい雰囲気を漂わせています。
教会に入ってすぐの場所にあるのが集会室。教会そのものは決して大きくはありません。教会内部も全体としてはとても質素な作りです。まるで村の家の一部屋を思わせるような部屋もあります。
質素な扉の向こうにホールのような礼拝室があります。
ルーマニア正教会は東方教会なので、そこにはイエスキリストや聖母マリアの像はありません。サスキズ要塞教会もイコン画と呼ばれる絵画や壁画で信仰の対象が象徴されています。
穏やかに見える現在の様子も、要塞教会ということから村民が立てこもることも想定されていたため、一定の広さも必要だったのであり、その目的がなくなった現在でも当時の面影を残しているといえます。



11時15分 サスキズ要塞教会の観光を終えてバスはブラショフへ。

























 
 日程 4日目 5月17日

13時 ブラショフに到着し、すぐにルーマニア家庭料理の昼食。

昼食後はブラショフ市内観光。

ブラショフ
ルーマニアのほぼ中心に位置するトランシルヴァニア地方のブラショフは、ルーマニアでは2番目に大きな都市。
13世紀初頭には、ザクセン人によって植民地化され、以後、ドイツの影響を受けてきた街です。そのため、街中にはドイツ風の建造物が建ち並び独特の雰囲気を漂わせた中世の街並みを残した美しい都で、「クローンシュタット」というドイツ語名を持っています。
主な観光スポットは、「黒の教会」、「要塞教会群」、そして吸血鬼ドラキュラの舞台「ブラン城」などです。

レププリチ通り
メインストリートともいえるレプブリチ通りは賑やかな歩行者天国となっている通り。お洒落なカフェやレストランなどが入るドイツ風の建物が建ち並び、ウインドーショッピングを楽しむ人々で賑わっています。

スファルトゥルイ広場
レプブリチ通りの先にあるのが、町の中心「スファトゥルイ広場」。石畳に覆われた広々とした広場を取り囲むのは、お洒落な装飾に飾られた中世を偲ばせる建物。土産物店やカフェ、レストラン等々、大勢の人で賑わっています。
広場の中央に建つのは、1420年建立の旧市庁舎で、高さ60メートルの見張り塔には鐘が設置されており、何か特別なことがあった時には住民に知らせる役目を担っています。この市庁舎は、現在は歴史博物館として利用されていています。

黒の教会
ブラショフの街の中心にそびえ建つ、高さ65mのトランシルヴァニア地方で最大の後期ゴシック教会で、ヨーロッパのゴシック様式の教会としては最も東方に位置しています。
もともとは聖メアリー教会として建てられのですが、1385年に破壊されてしまい、1477年に再建。しかし、1689年にはオスマン帝国との戦いの中で大火に見舞われ外壁が真っ黒焦げになってしまったという歴史があります。そのため「黒の教会」と呼ばれているのです。
内部には、1472年の洗礼盤や1476年のフレスコ画、ネオゴシック様式の金色に輝く祭壇をはじめ、数多くの金細工品とクロンシュタットの高官の墓石などが見られます。また、16~18世紀のトルコやアナトリア産の重厚感のある絨毯やタペストリーが飾られています。中でも、ルーマニア最大級のパイプオルガンは1839年に造られたもので、4000本ものパイプと4つの鍵盤を備えているという見応えあるものです。

聖ニコラエ教会
町の中心地からさらに南西方面に歩いて行くと、スケイ門があります。ブラショフの旧市街の中でも、城壁に囲まれていたドイツ人の居住する地区と城壁の西側外のスケイ地区を分けていた門で、1825年に造られました。スケイ地区は、ドイツ移民たちがブラショフを建設し始めた当時、先住ルーマニア人が移住を余儀なくされた地区。通り沿いには、歴史を感じさせる建物が建ち並びます。
スケイ地区の南西にある統一広場の奥にあるのが聖ニコラエ教会。ルーマニア正教会の聖堂です。13世紀末の創建当時は木造でしたが、増改築が繰り返され、現在はゴシック様式にバロック様式を取り入れた石造りの姿になっています。
教会内には、金や銀を使った装飾で豪華なイコンがズラリと並び、天井や壁面全体をフレスコ画が覆っています。このフレスコ画は有名な壁画家であったミシュ・ポプによるものです。
聖ニコラエ教会の隣には、ルーマニアで最初の学校(開校1583年)と、コレーズ(16世紀の、ルーマニア語で最も初期の印刷物の編集者)の像があります。現在は学校博物館として古い書籍が展示されています。

スファルトゥルイ広場の散策中にルーマニア王冠の守護者(ルーマニア王太子)と呼称されるマルガレータ・ア・ロムニエイ(Margareta a României)ルーマニア女王にお目に掛かれました。


ブラショフ市内観光後 CUBIXホテルにチェックイン、ホテル内レストランで夕食。

















 



 日程 5日目5月18日

8時10分 ブラショフ CUBIXホテルをチェックアウトしバスでブランへ。

9時 ブラン城に到着。
ルーマニアと聞けばコマネチとドラキュラですよね。そのドラキュラ居城のモデルとなった、ブラン村随一の観光スポットであるブラン城。
ブラショフから南西へ約30km、ブチェジ山麓にあるブラン村の岩山のてっぺんに聳える中世の城塞です。
中世には別々の国だった、「トランシルヴァニア」と「ムンテニア」の国境に建設されました。石造で、商人たちが行き交う道路の関所を守る役割を持っていました。
お城の麓には、お土産物屋がズラリ!中には、ドラキュラ伝説に合わせるようなホラー感満載の建物もあったりで、すっかり観光地化されています。
駐車場からは、お土産物屋を抜けて木々に囲まれた急な坂道を登って行きます。
広い敷地内に入ると、打って変わって自然に囲まれた林の中。山上に聳えるブラン城は、岩と一体化したような造り。このお城は、もともと13世紀にドイツ騎士団が、トランシルヴァニアの南東部を守るため、木材製の国境の要塞を築いたことから始まります。14世紀には、ドイツ商人が侵入してくるオスマン朝軍をいち早く発見する目的で、石造りの要塞を築いたとされています。その後、ワラキア公ヴラド1世がここを居城としたのです。
ブラン城は、アイルランドの作家ブラム・ストーカーによる小説「吸血鬼ドラキュラ」のなかで、ドラキュラ居城のモデルになっています。そのドラキュラ伝説の主人公が、15世紀に実在したワラキア公ヴラド3世。攻めてきた他国の兵士に対して行った拷問や処刑が異常な残虐なものだったことから、ヴラド・ツェペシュ(串刺し公)という別名がある人物ですが、ルーマニアではオスマン・トルコ軍と勇敢に戦った英雄とされています。しかし実際にこのブラン城にヴラド3世は住んではいなかったそうです。
城内は、ドラキュラから想像される恐ろしい雰囲気を持つものではなく、中世の典型的なお城です。
4階層にわたり、迷路のような狭い階段と廊下でたくさんの部屋が複雑に繋がっており、陶器・家具・武器・甲冑などが展示されています。
中世の生活がそのまま再現された居室には、白い漆喰壁に重厚な木彫り装飾が施された家具、美しい装飾の陶器製の暖炉、温かみのあるシャンデリアなど、どの部屋に入っても中世にタイムスリップしたような気持ちになります。
大公の執務室には重厚な書棚にたくさんの書籍が納められています。地下牢には、拷問道具などが展示されていて、ドラキュラという言葉から連想されるようなおどろおどろしい伝説の雰囲気が漂うのはここだけです。
建物で囲まれた中庭には、彫り込み装飾の施された古井戸があります。
中庭から見上げるお城の建物は、複雑に組み合わされた造りが一目瞭然。白い漆喰壁に黒い木枠が映え、上階の外側に設置された通路や赤茶色の円錐形をした可愛らしい屋根にも目が惹かれます。
塔内には1階から3階への秘密の近道となる階段も用意されていて、最上階へ登ってみると、建物を上から眺める風景もさることながら・・・周辺を取り巻く緑溢れる自然の風景に、目も心も癒されます。。

ルーマニアのドラキュラ伝説
ヴラド三世(ヴラド・ツェペシュ)は、1456年-1462年にワラキア公国王として在位したルーマニアのドラキュラ伝説のモデルになった人物です。彼は若き日、コンスタンチノープル(現イスタンブール)遊学中にビザンチン帝国の滅亡(1453年)に遭遇、オスマン・トルコ帝国のメフメト二世の捕虜となります。やがて許されて国へ戻り、ワラキアの支配者となりますが、約束していたトルコへの貢納金の支払いを拒否し、スルタンから派遣された兵士を生身のまま串刺しにした残虐な行為から、ツェペシュ(串刺し公)と呼ばれました。
「ドラキュラ」の名は、彼の父親が神聖ローマ帝国皇帝から授かった、竜(ドラゴン)が彫られたメダルに由来します。父はそのため「ドラクル」あるいは「ドラキュラ」と呼ばれ、その名が家名となったのです。ドラク(DRAC)とは、 ルーマニア語で「悪魔」のこと。シギショアラの生家、ブカレストをはじめ、各地にヴラド・ツェペシュゆかりの城跡がいくつも残っています。ヴラド・ツェペシュの肖像画はルーマニアの観光地では至る所で目にします。
「吸血鬼ドラキュラ」は、彼の行状を年代記で読んだアイルランドの作家、ブラム・ストーカーのフィクションです。



10時30分 ブラン城の観光を終えてバスはシナイアへ。






                                     
   PART 4 へと続きます。


PART 1:ブカレストへ  トゥルゴヴィシュテ  ホレズ修道院

PART 2:シビウ  ビエルタン要塞教会  シギショアラ歴史地区
PART 3:サスキズ要塞教会  ブラショフ  ブラン城
PART 4:シナイア  ブカレスト  イワノヴォ岩窟教会
PART 5:ヴェリコ・タルノヴォ  カザンラク  コプリフシティツァ
PART 6:リラの僧院  ボヤナ教会  ソフィア  帰路



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