2016年 10月 13日 〜 20日
H.I.S. Impresso(添乗員・伊藤 しず さん)に参加して
日程 5日目 10月18日
クラクフ→オシフィエンチム(約65km/約1時間30分)
ここは今回の旅行でどうしても訪ねたかった場所です。
ポーランド語でオシフィエンチム、ドイツ語ではアウシュヴィッツです。ヒトラー占領下にナチスドイツ軍によって設置されたヨーロッパ地域で最大規模のアウシュビッツ強制収容所は、アウシュビッツ第1強制収容所、アウシュビッツ第2強制収容所(ビルケナウ)、およびアウシュビッツ第3強制収容所(モノヴィッツ)の3つの大規模な強制収容所で構成されていました。この場所で、主にポーランド人とユダヤ人を対象にした民族完全絶滅のための集団虐殺計画が実現されていったのです。ここに運ばれてきた人の数は数百万人に及ぶとも言われています。
1940年ナチス・ドイツがオシフィエンチム市で「アウシュヴィッツ第1強制収容所(基幹収容所)」の建設に着手し、6月には、ポーランド人政治犯を乗せた最初の移送列車が到着しました。その後、囚人数の増加と共に、収容所は拡張されていきます。1941年10月からは、オシフィエンチムの郊外約3kmほどに位置するブジェジンカ村に絶滅収容所として悪名高い「アウシュヴィッツ第2強制収容所ビルケナウ」の建設が始まりました。第1収容所はレンガ造り2階建てのしっかりとした建築ですが、第2のビルケナウは木造の長屋風の粗末な建物です。復元された収容棟のカイコ棚のような木造のベッド、丸井穴がずらっと並ぶトイレ棟・・・1942年春からは実際に絶滅計画が開始されています。さらに1942〜44年にかけて、ドイツの大企業の製造プラントなどが併設された「アウシュヴィッツ第3強制収容所モノヴィッツ」が造られました。その他にも近隣に合計40以上の補助収容所が設けられました。
初期に収容された囚人たちはポーランド人が中心でしたが、その後、捕虜になったソ連兵、ロマ、その他の国からの収容者が増えてゆきました。
1942年以降、アウシュヴィッツ収容所はヒトラーによるユダヤ人の最終的解決の一環として、ユダヤ系市民を大量虐殺するための場所となっていったのです。この収容所には『アンネの日記』で有名なアンネ・フランクも一時収容されていたことがあります。ナチス軍は戦況の悪化に伴い収容所を破壊し、関係する書類等を焼き払い収容者と共に逃避し、ガス室で殺された人、病気や飢えで亡くなった人、逃避行中に体力の限界から倒れた人・・・犠牲者の数は28カ国の110万人以上といわれていますが実数は永遠の謎です。そのうち圧倒的多数はユダヤ系の人々で、ポーランドだけでなくナチ占領下の様々な国からここへと輸送され、虐殺されたのです。
1947年、ポーランド国会においてアウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所を後世への教訓のために保管することが決定し、残された建物を補修し破壊されたものの一部は復元され、アウシュヴィッツ博物館が設立されました。そして1979年にはユネスコによって世界遺産に登録されます。20世紀最大の負の世界遺産と言われています。
現在公開されている施設
第1収容所の跡地には、電気柵で2重に囲まれた収容棟と「ARBEIT MACHT FRE(働けば自由になる)」の文字を掲げた門が残されています。
「アウシュヴィッツ=ビルケナウ国立博物館」として公開されている一部の収容棟内には、ナチス軍が犠牲者たちから没収した私物(身分証明書、写真、旅行鞄、眼鏡、杖、靴、宝飾品など)が展示されています。
シャワーといって裸にされて数百人の収容者を一度に殺掠したガス室も復元され実際に使用されたチクロンガスの空き缶も展示されています。
第2収容所ビルケナウの広大な敷地には、監視塔とその下をくぐって欧州全土とを結ぶレール、収容者達が降り立ったホームがそのまま残され、バラックの一部も復元され焼却炉の瓦礫が残されています。
一人の狂信的な指導者の余りにもむごい結果に唖然とさせられます。
『ボルシチ』の昼食後オシフィエンチムを後にしてヴィエリチカへ(50km/約1時間30分)。
旧市街のレストランにて『ジュレックスープ』の昼食後空港へ向かい、 国内線にてワルシャワへ。
PART 5 へと続きます。
PART 1:成田からポーランドへ クダンスク
PART 2:マルボルク トルン ポズナン
PART 3:ヴロツワフ シフィドニツァ
PART 4:オシフィエンチム ヴィエリチカ クラクフ
PART 5 :ワルシャワ 帰路
食べ物のページへ
花と木のページへ
人々のページへ
まるごとベトナム大縦断6日間 ブルネイ王国 ミャンマー ルーマニア・ブルガリア
南インド ラオス ポーランド大周遊 春色に染まるオランダ・ベルギードイツ
芸術薫る美しきロシア トルコ フランススペシャル ヨーロッパ最後の秘境・アルバニア
流砂の道 西域南道とタクラマカン砂漠縦断 ドバイ&アブダビ プラハとチェコの小さな町チェスキークルムロフ
シルクロード ウルムチ・トルファン 世界遺産登録・小笠原 ウズベキスタン バルト3国 ギリシャ
中国 東北部 カムチャッカ イギリス浪漫紀行 ポルトガル 桂林・漓江下りと龍勝棚田
クロアチア・スロベニア・ボスニア・モンテネグロ 2回目のエジプト・アブシンベル朝日の奇跡
メープル街道 秋彩 チュニジア ベネズエラ、コロンビア イスラエル スペイン
ドロミテ・チロル・ベルニナ感動紀行 モロッコハイライト ヴィクトリアの滝と南アフリカ
ボロブドゥール遺跡とバリ島 最後の秘境 世界遺産 武陵源 ペラヘラ祭とスリランカ ヨルダン・シリア・レバノン
南米・イグアスの滝と悠久のアンデス・メキシコ カナダ イタリア キリマンジャロ登山 黄山
エベレストを仰ぐ、ヒマラヤトレッキング エジプト 九寨溝 スイス ニュージーランド アンコールワット
My Home