陽光のマルタをめぐる 8日間
                 

2020年2月21日〜28日
ユーラシア旅行社(添乗員:水谷桃子さん)に参加して






マルタ共和国 国旗

 









PART 3

イムディーナ/大聖堂
ラバト/ドムスロマーナ  聖アガサの地下墓地
マルサシュロック
スリーシティーズ/
セングレア監視塔 ヴィットオーザ
日本海軍慰霊碑









陽光のマルタをめぐる 8日間


 日程6日目 2月26日(水)

ヴァレッタが築かれる前の首都で多くの貴族達が住んでいた古都。
周囲に濠を巡らした城塞で、メインゲートから中に入ると別名「静寂の街」と呼ばれる静かな中世のたたずまいがそのまま残されています。

 マルタ島の中央部に位置するイムディーナとラバトは元々は1つの街でした。
歴史は古く、紀元前700年ころにフェニキア人が築いた街が始まりと言われています。街は海岸からは遠く離れた、島で一番標高の高いマルタ中央部に位置しています。これはフェニキア人が防衛を考えたからのようです。
フェニキア人の後、島の支配者はカルタゴ、ローマと変わっていき、ローマ人の時代が長く続きました。キリスト教が広まったのもローマ人の時代です。
その後、870年に島にアラブ人が侵攻してくると街はアラブ人によって城壁で囲まれた中心部イムディーナと郊外のラバトに分割されます。アラブ人が去った後もイムディーナはマルタ島の首都として貴族や僧侶が暮らしていましたが、1530年に島が聖ヨハネ騎士団の所領となり首都がスリーシティーズに移ると街は次第に寂れ、「静寂の町」と呼ばれるようになりました。

 街が城壁で囲まれているのが分かります。9世紀の街の中心部を城壁で囲んだわけですから、決して大きな町ではありません。
かつてのメインゲートは跳ね橋になっていたのですが、現在は橋が架かっていてバロック様式のゲートとなっています。
聖ヨハネ騎士団がマルタに入るときの条件が「マルタの貴族と僧侶を侵すな」というものだったため、聖ヨハネ騎士団はイムディーナとは別に海沿いのスリーシティーズを築くのですが、地震でイムディーナが被害を受けた時に騎士団が復興に尽力したため、今の門には復興に当たった騎士団長の紋章が彫られています。
イムディーナでは大聖堂と付属の博物館を見学。
大聖堂はマルタで最初にキリスト教徒となったバブリウスの館があった場所に建てられています。
幾度も再建され、現在の大聖堂は1702年に完成したものです。
大聖堂の周辺はかつての行政の中心で、立派な建物が並びます。
堡塁広場という眺めの良い場所からの眺望を楽しみました。
ヴァレッタの街や地中海まで見ることができます。









 大聖堂


 イムディーナ大聖堂(聖パウロ大聖堂)と付属の博物館。
イムディーナ大聖堂は17世紀にマルタ人建築家ロレンツォ・ガッファにより建造されたイムディーナの中心に位置しマルタ最初の司祭である聖パブリウスの家の跡地に建てられた聖母マリアに捧げられたバロック様式の教会です。
大聖堂の見学は、先に博物館を見てから大聖堂を見る順路になっていました。
博物館は1Fが教会の付属物やイコンなど、2Fが特別展示と銅版画の展示でした。
博物館の見学を済ませて一度外へ出て大聖堂へ一歩入ると、外観からは考えられない想像を超える世界観に圧倒され、幻想的で、まるで絵を見ているようです。
大聖堂は外観から見た感じよりも大きく、中央祭壇のほかに十字型に礼拝堂が配置され、聖パウロの難破を描いたフレスコ画をはじめ、天井や壁を埋め尽くす豪華な内装が印象的でした。
左右を見ても上を見てもその威厳に圧倒され言葉を失いました。

 

 










陽光のマルタをめぐる 8日間


ラバトはイムディーナと隣り合う活気あふれる庶民の街。イムディーナとラバトは元々は1つの街で、その歴史は古く、紀元前700年ころにフェニキア人が築いた街が始まりと言われています。
マルタ中央部に位置しており、これはフェニキア人が防衛を考えたからのようです。フェニキア人の後、紀元前2世紀頃からはローマ人の街として栄え、当時の面積は今の3倍の広さでした。
ローマ時代の遺跡から出土した品々はドムス・ロマーナに展示されています。

現在のラバトの市街地は、かっての街の郊外にあたります。昔は公衆衛生の見地から死者を街中に葬ることは禁止され、死者は郊外に葬ることになっていました。このため、人々は地下を堀り、死者を葬る地下墓地を築きました。
ラバトには昔の墓地・カタコンベが多数残っています。聖パウロの地下墓地・聖アガサの地下墓地等が一般に公開されています。







 ドムス・ロマーナ


ローマ古美術館で、ローマ時代のヴィラの跡に1925年に建てられたネオクラシック様式の建物で、ローマ・モザイクの床絵が往時のまま保存されています。
ここに展示されていた像は古代神殿から出土したようなふくよかな女性像とは全く異なり均整のとれた衣服を纏った男性像です。
他にも当時の遺構とともにガラスや陶器、コイン等が展示されています。


 

 







聖アガサの地下墳墓・他


聖アガサの地下墓地(St Agatha's Catacombs)
聖アガサはシチリア貴族の娘で美貌に恵まれたキリスト教徒でした。彼女の美しさに惚れ込んだ当時シチリアを支配していたシチリア総督クインティリアヌスが妾になるよう要求したものの、信仰のために彼女は拒否します。
これに怒った総督は、彼女を捉え、キリスト教徒として拷問で改宗を迫り、彼女が受け入れなかったのに反発し両乳房を切り落とされたと言われています。
聖アガサが迫害を逃れてマルタに隠れ住んだという伝承があり、彼女はマルタ島の守護聖人となっています。
彼女が隠れ住んだ地下の洞窟は礼拝所となっており、更に、その奥には4〜8世紀の地下墓地・カタコンベが続きます。
礼拝所も地下墓地も残念ながら写真撮影は禁止でしたが、礼拝所では12〜13世紀のフレスコ画が印象的。アラブ人によって顔の多くが破壊されているものの、なんともいえない雰囲気がある場所です。
さらに、地下墓地ではローマ人が死者を弔うために食事をした石のテーブルや、4世紀のフレスコ画も残っていました。
内部は全てガイドさんがついて案内してくれます。
隣接している博物館では出土品や古美術品などの貴重な品々が展示されています。

今回は寄らなかったですが、すぐ近くには聖パウロのカタコンベがあります。

 

 







 

 






陽光のマルタをめぐる 8日間



マルサシュロックとはアフリカから吹く熱風を避ける港という意味で、多くの漁船が錨を下せる波の静かな湾です。
マルタと言えば必ず登場する黄色や青、赤でペイントされた、おもちゃのようなカラフルで独特の形の「ルッツ」と呼ばれる伝統的な小型船が湾内に浮かんでいます。
ルッツの舳先の両側にちょっとタレ目な感じの笑顔にも見える「目の模様」のシンボルが付いています。
この「目の模様」を導入したのはマルタを支配していたフェニキア人の頃まで遡ると言われていて、2つの説があります。
1つ目の説は、古代エジプト神話に登場する「冥界(死者の世界)の王、オシリスの目」であり、冥界の王に乗っていることによって死から漁師を保護しているという考え。
2つ目の説も同じ古代エジプト神話からで女神イシスとオシリスの間に生まれた「天空と太陽の神、ホルスの目」であり、嵐などの自然災害から漁師を保護しているという考えです。
いずれも古代エジプト神話が起源で、目のシンボルには海の危険から漁師を守る意味が込められています。
現在の漁師さん達は、目で凝視することで悪いことを避け、良い漁獲が出来ていると信じているようです。
マルサシュロックの湾に面したレストランで美味しいシーフードの盛り合わせの昼食を頂きました。


 

 





陽光のマルタをめぐる 8日間




 スリーシティーズ

スリーシティーズはヴィットリオーザ、セングレア、コスピークワの三つの町の総称で、ロードス島を追われた騎士団が1530年に礎を築いたゆかりの地。



 聖アンジェロ要塞

1565年、トルコとの大包囲戦に勝利したことを祝って名付けられた街、ヴィットリオーザ。
その半島の先端にある聖アンジェロ要塞はアラブ人が造ったものを騎士団が拡張したマルタ騎士団最初の要塞都市。
ヴァッレッタのアッパーバラッカガーデンから真正面に大きく見えるの聖アンジェロ要塞ですが、この砦内の牢獄に画家のカラバッジョが投獄されるのですが、脱獄しシチリアに逃れたと言われています。



 セングレア監視塔

セングレア監視塔は多くの船が行き交うグランドハーバーをヴァッレッタ側とセングレア側とで挟むように監視できる場所に位置し、セングレア監視塔の左右には目と耳が彫られていて、敵の攻撃を海と空から目を凝らし、耳を澄ませて休むことなく監視していることを表しています。



 日本海軍慰霊碑

スリーシティーズで最初に向かったのは日本海軍慰霊碑でした。
第1次世界大戦の際に日英同盟により帝国海軍第2特務艦隊がマルタに派遣されました。その内の軍艦「榊」は1917年に敵潜水艦の攻撃を受けて沈没。
59名の人命が失われた慰霊碑がイギリス、ドイツ、フランス兵士と同じ墓地に眠っています。

 

 


















                                     
   PART 4 へと続きます。







PART 1:
成田からマルタへ  ブルーグロットー ヴァレッタ市内観光


PART 2:
ハジャーイム神殿  イムナイドラ神殿  ハイポジウム神殿・タルシーン神殿 ハーバークルーズ


PART 3:
イムディーナ/大聖堂  ラバト/ドムスロマーナ  聖アガの地下墓地  マルサシュロック  スリーシティーズ/セングレア監視塔 ヴィットオーザ  日本海軍慰霊碑


PART 4:
ゴゾ島/ アズールウィンドゥ跡地
 ジュガンティーヤ神殿 チタデル
 ゴゾ大聖堂


PART 5:
マルタ島  ポパイ村
サンジュリアン・インターコンチネンタルホテル


PART 6:
カーニバル   帰路




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陽光のマルタをめぐる8日間

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