トルコハイライト 12日間        

2015年11月4日―9日
クラブツーリズム(添乗員・茅原こずえさん)





 









PART 4:モスクワ








 11月7日(土)
サンクトペテルブルグのホテルを朝早くにチェックアウトして空港に向い7時00分発のUT490便にてモスクワへ。
モスクワ到着は8時20分。
空港からモスクワ市内を一望にできる高台にあるモスクワ大学へと向かう。だがこの日はあまり天気が良くなくて少しもやっとしていて綺麗な景色は見れなかった。
その後ノヴォデーヴィッチ修道院、救世主キリスト大聖堂、等を写真を撮りながら回り、昼食後クレムリンの観光へ

  クレムリン
クレムリンと言うこの言葉の表記はあくまでも英語やフランス語のもので、直接のロシア語で言うと実際は『クレムリ』となるそうです。クレムリは「城壁」を意味する言葉で、この言葉通りクレムリンは建物全体が大きな城壁で囲われた造りになっています。クレムリンの城壁の総延長は2.25Km。総面積は約26ヘクタール。
南をモスクワ川、北東を赤の広場、北西をアレクサンドロフスキー公園によって囲まれたほぼ三角形の形をしている。
入り口となる城門は20ヶ所とかなり広大なもので、内部には大小新旧様々なパラーダ(宮殿)や聖堂(寺院)・バーシニャ(20の塔)があります。
ソビエト連邦時代にはソ連共産党の中枢が置かれたことから、ソ連共産党の別名としても用いられた。現在もロシア連邦の大統領府や大統領官邸が置かれている。正面には赤の広場がある。

モスクワのクレムリンの原型となる城塞は12世紀に築かれたと考えられている。クレムリンが築かれた場所はモスクワ川とネグリンナヤ川(現在は地下河川となっている)の合流点に面した天然の要害であった。1366年、第4代モスクワ大公ドミトリイ・ドンスコイにより、石造りの城塞として再建された。

  宮殿
モスクワ川沿いの河岸段丘には、クレムリン大宮殿(ボリショイ・クレムリョフスキー・ドヴォレッツ)を中心に、グラノヴィータヤ宮殿、テレムノイ宮殿(チェレムノイ宮殿)が林立し、これに、クレムリン大会宮殿(ドヴォレッツ・スエズドフ)や聖堂群が周囲に立てられ一つの建築複合体を形成している。この敷地の東隣はタイニツキー庭園となっている。

  グラノヴィータヤ宮殿(多稜宮)
1481年から1891年にかけて建造された宮殿。イタリア人建築家マルコ・ルッフォ(ロッフォ)とピエトロ・ソラーリによる。ファザードが白い多面体の石で覆われているため、グラノヴィータヤ(多面体、多稜の)の名称が着いた。高さ9メートル、広さ490平方メートルのアーチ構造のホールが内部にある。帝政ロシア時代には、イワン雷帝のカザン占領記念の祝典や、ピョートル大帝のポルタワの戦いの勝利祝典など、公式行事やレセプション会場に用いられた。

  テレムノイ宮殿(チェレムノイ宮殿)
英米圏では「テレム(テーレム)宮殿」の名称で呼ばれる。「テレムノイ」(露:Теремной)とは、古ルーシの言葉で「高級な住まい」を意味すると言われる。1635年から1636年にかけて造営された、16世紀に建設された2階建ての宮殿の上に3,4階を増築した。この望楼のような屋根裏部屋をテレムと称するとも言われる。この宮殿は、ロシア帝国の歴代皇帝(ツァーリ)の御所であった。五階建てで最上階は寄せ棟造りで、紅白の菱形模様の屋根が敷かれている。四階は控えの間と、玉座の間、寝室などがある。19世紀になってコンスタンチン・トーンにより下層が改装されファサードが変わった。

  クレムリン大宮殿(大クレムリン宮殿)
1839年から1849年にかけて造営された宮殿。広義のクレムリン大宮殿は、この大宮殿に上述のグラノヴィータ宮、テレムノイ宮殿を合わせたものを指す。全長125メートル、奥行き63メートルの大建築で、外観三階建て、内部二階建てである。
宮殿には、ウラル山脈から採掘された国産孔雀石、花崗岩などの諸石材が装飾においてアクセントを形成している。このほか、家具、装飾品、織物、シャンデリア、磁器や青銅器などの装飾品は、サンクトペテルブルクやモスクワの工房に特注された逸品である。
一階には、皇帝の私室、二階には、国家行事に使用された大ホールがある。大ホールは、いずれもロシア帝国の主要な勲章にちなんで、エカテリーナの間、ウラジーミルの間、ゲオルギーの間、アレクサンドロフの間、アンドレーエフの間がある。
エカテリーナの間
クレムリン大宮殿の各ホール中、最も大きく、最も荘重である。全長61メートル、全幅20,5メートル、高さ最大17メートルの威容を誇る。天井には重さ1,3トンの金メッキされたシャンデリアが6基取り付けられている。床は、胡桃、マホガニー、桜、白樺、林檎、梨、白樺、黒檀などの異なる木材で構成される寄木造りとなっている。帝政時代、ソビエト時代、そして現在のロシア連邦を通じて国家的祝典に使用された。
ウラジーミルの間
楕円形で、帝政時代には皇帝の謁見を待つ貴族のいわば溜の間であった。このほか、外国からの使節を謁見したり、条約調印の会場として使用された。勲章授与式にも使用されている。
アレクサンドロフの間とアンドレーエフの間
1939年に壁を撤去し、一つのホールとなり、ソ連最高会議及びロシア・ソビエト連邦社会主義共和国最高会議(ロシア語版)の議場として使われた。
 
  国立クレムリン宮殿(旧クレムリン大会宮殿)
クレムリン大宮殿の北側、トロイツカヤ塔から入城して右側に位置する。ソビエト時代の1959年から1961年にかけて建設された。ファザードは、ガラス張りで鉄筋コンクリートの直線的な社会主義モダニズム建築。6000人を収容可能な議事堂で、ソ連崩壊後は、名称を国立クレムリン宮殿と改称された。1990年クレムリンが世界遺産に登録された際には、この宮殿のみ鉄筋コンクリートとガラス張りの近代性ゆえに世界遺産としての指定がなされなかった。

ロシア大統領官邸
ロシア大統領官邸の入っている旧元老院(カザコフ館)。ソ連時代は書記長の執務室が入っていた。
帝政ロシア時代は、元老院。ソビエト時代には閣僚会議館。赤の広場に面し、二等辺三角形の平面を持つ。赤の広場から、レーニン廟越しに見ると、カザコフ館のドームが見える。レーニン以来、歴代のソ連指導者の執務室が置かれた。

ロシア大統領府
ソビエト時代にはソ連最高会議幹部会館。ソ連時代の1932年から1934年にかけて建造された。大統領官邸などの周囲の建物と同じ黄色の外観で調和が取れている。

武器庫(武器宮殿、アルジェイナヤ・パラータ)
クレムリンの南西、アレクサンドロフスキー公園に隣接している。武器庫とあるが、後に戦利品やロマノフ家の宝物を保管するようになり、1720年ピョートル大帝の勅令によって美術館となった。コレクションには、13世紀から18世紀の武具・武器、14世紀から19世紀の織物、宮廷衣装、ロマノフ家の馬車などがある。

大聖堂
大聖堂広場に面して建つアルハンゲリスキー大聖堂
大聖堂広場で行われる、プーチン新大統領によるクレムリン連隊の閲兵式(2012年)。宗教的空間であるこの大聖堂広場も現代では政治の舞台装置である。

クレムリン大宮殿の東側には、ロシア正教会の伽藍が林立する広場があり、大聖堂広場(寺院広場、ソーボルナヤ・プロシチャージ)の名で呼ばれる。

アルハンゲリスキー大聖堂
1505年から1509年にかけて建立。5個の丸屋根を持ち、内陣にはタタールのくびきからロシアが解放された絵やイコンによって飾られる。イワン雷帝他歴代皇帝の納骨保管所となっている。

生神女就寝大聖堂(ウスペンスキー大聖堂)
1475年から1479年にかけて建立。大聖堂広場の北側・グラノヴィータヤ宮の北隣に位置する。5つのドームを持つ。全高38メートル。内陣には、フレスコ、イコンによって飾られる。帝政時代には皇帝の戴冠式が挙行された。現在でもロシア連邦大統領就任式でロシア正教会による祝福が行われる場所である。
生神女福音大聖堂(ブラゴヴェシチェンスキー大聖堂)
クレムリン大宮殿の東に隣接する瀟洒な聖堂。現在丸屋根は9個だが、建立当初は1個だった(直ぐに3個に増やされた)。皇帝、皇后の私的な参拝、礼拝所として使用された。

この他、大聖堂広場やクレムリン大宮殿には、総主教宮殿、ヴェルホスパスキー聖堂(祭服教会)、テレムノイ宮殿付属教会、リゾポロジェーニエ教会、十二使徒教会、ラザーリ教会がある。

大聖堂広場の中心には、高さ81メートルのイワン大帝の鐘楼が屹立している。21個の鐘があり、その一つウスペンスキーの鐘は、総重量70トン。イワン雷帝の鐘楼の前には、全高6.1メートル、直径6.6メートル、重量200トンの鐘の皇帝(鐘の王様、ツァーリ・コロコル)が置かれている。さらに鐘楼の裏手、イワノフスカヤ広場に面して、大砲の皇帝(大砲の王様、ツァーリ・プーシュカ)が置いてある。この中世における世界最大のカノン砲は、砲身は全長5.3メートル、厚さ15センチ、口径89センチ、重量40トンの怪物級である。但し、この大砲は一度も発射されたことは無い。


クレムリンを囲繞する20の尖塔。1937年のロシア革命20周年を記念して、トロイツカヤ塔、ホロヴィツカヤ塔、ヴォドヴズヴォドナヤ塔、スパスカヤ塔、ニコリスカヤ塔の先端には、ウラル山脈から採掘されたルビーで作られた直径3メートルになる赤い星(クレムリンの赤い星)が輝く。


11月8日(日)
朝ホテルを出て1日クレムリンの北東の城壁に隣接する「赤の広場」の観光。
国立歴史博物館から入るとすぐ右手にカザン大聖堂、その先は左手に細長いグム(ショッピングセンター)とレーニン廟に挟まれた幅は130m長さ700m反対側の正面に聖ワシーリー寺院までの広大な広場が赤の広場。
テレビでもお馴染みの軍事パレードの行われる場所だ。前日にも何かのイベントがあってテレビではそのパレードの様子が流されていました。
ロシア語で「赤い」を意味する『クラスナヤ』がこの名前の由来とされている。赤色がロシアでは「美しい」と言う意味もあり『美しい広場』とも言われています。面積は73000uとこの赤の広場だけでも結構な大きさになります。

聖ワシリイ大聖堂は、赤の広場に立つロシア正教会の大聖堂です。まずその独特でカラフルな外観が目を引きます。その屋根はレンガでてきており、すべてがタマネギ型のドームになっています。主聖堂が中央にあり、その周りを8つの小聖堂が囲むような形です

レーニン廟
赤の広場に面して赤い石で造られた落ち着いた感じの建物がレーニンの眠る「レーニン廟」です。長い行列に並んで中に入れます。入り口は黒い大理石で、花が飾られ衛兵が守っています。内部は薄暗く、写真撮影は禁止です。














11月8日(日)

モスクワに市内観光を終えて空港に向かい、17時00分発のJAL442便にて成田に向けてモスクワ・ドモジェドボ空港を離陸。


11月9日(月)
新潟県上空に差し掛かる頃に朝食が出て8時35分成田に到着。


 

 







                                    
  




PART1: 成田からサンクトペテルブルクへ
PART2:エカテリーナ宮殿 血の上の教会
PART3:エルミタージュ美術館 エルミタージュ劇場
PART4: モスクワ 帰路
PART5: 食事



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