ユーラシア旅行社(添乗員・長田侑子さん)
2013年9月10日ー20日
PART 2
日程7日目より
7日目 9月16日(月)
この日は一日かけて、2007年10月に開通した新タクラマカン砂漠縦断公路を走り、クチャへと向かいます。 走行距離は700km?
というわけで朝早く8時50分(北京時間です。ウイグル時間では6時50分)にドライバーさん2人でホテルを出発。
まずはガソリンスタンドで満タンにして、いざ新砂漠横断公路へ。
出発して2時間、最初の休憩。といっても砂漠には売店も無ければトイレもありません。
ポツンポツンと点在する胡楊の木(中には立枯れたものも)を眺めながらの青空トイレ。
そしたら急に空が暗くなってきて、砂嵐に見舞われました。急いでバスに戻って北を目指します。1時間ほど走ったら何と、雨が。
さらに1時間ほど走ったところで、写真ストップ。
ここには、不思議なことに手押しポンプ式の井戸がありました。押してみたらちゃんと水が出ます。こんな砂漠の真ん中に一体誰が、何のために?
砂漠を横断する車の休憩所みたいになっているのか、辺りにはゴミが散乱しています。
さらに1時間ほど走るとタクラマカン砂漠の中でもタリム盆地と呼ばれている地域に入っていきます。
この辺りには胡楊の木だけでなく綿花の畑も見られます。
やがて料金所ゲートを抜け砂漠公路から外れてアラル市へ寄り道。昼食のレストランを探します。
普段は殆んど雨の降らない土地だけに道路には排水設備がなく、先ほどの雨で道路の両脇には大きな水溜まりが出来ている。
そんな中立ち寄ったレストランは回族の経営するレストランで、小さく切ったパスタのようなサオ麺が出てきた。特徴のないおとなしい味付けだった。隣のテーブルでは公安の警察官が食事をしていた。
昼食後は再びタリム河を渡って砂漠公路に戻りさらに北のクチャを目指します。
1時間ほど立枯れた胡楊を眺めながら進むと検問所がありました。
ドライバーさんとガイドさんが全員のパスポートを持って検問所へ。
中国内、しかも同じ新疆ウイグル自治区内の移動なのに何故パスポートチェックがあるのか?ちょっと不思議な気もしますが、中国政府がそれだけ注意を払っているということなのだと思う。
パスポートのチェックまではいかなくても、この旅行中にも何度か検問でバスを停められドライバーさんはその度に検問所に連れていかれた。
道路にも市街地に入る所や大きな交差点には必ず監視カメラが頭上にあり、車が通るたびにピカッと光ってちょっと緊張させられるのも、その延長線にあるのかも知れない。
19時少し前、予定よりかなり早くクチャ賓館に到着。丸一日掛かりのタクラマカン砂漠の横断、砂嵐も体験でき、砂漠で”雨”の貴重な体験も出来ました。ドライバーさんお疲れ様です。。
【 クチャ 泊 】
8日目 9月17日(火) クチャ滞在
朝食後、現地ガイドの顧(コウ)さんも加わってクチャの観光へ。
今までのタクラマカン砂漠の南の都市とは違ってちょっと涼しい感じがします。
最初にバスが向かったのは「スバシ故城」。
クチャから北へ23km。天山山脈のチュルタク山麓のクチャ川を挟んで東寺と西寺が残っています。今回は西寺のみの見学。
魏晋時期に創建され、唐代には亀茲国最大規模の仏教寺院で、玄奘三蔵が記した「大唐西域記」に登場する「昭怙麓大寺」と言われています。仏塔跡や講堂跡などが現存していて、寺院というより小都市の跡といった感じがで亀茲国の繁栄振りが偲ばれます。
ここで出土した木簡、銀貨、仏像などは亀茲博物館に展示されています。
かつてのシルクロード跡や狼煙台も。
この後バスは「塩水渓谷」「天山神秘大峡谷」を見学(後述)して、1時間ほど走ってキジルへ。
名僧・鳩摩羅什の像に迎えられ、千仏洞近くのレストランで昼食を摂って『キジル千仏洞』の見学。
研究員の美女が鍵を開けて中に案内してくれます。お目当ては五弦琵琶のある『8窟』、伎楽天図があり、音楽窟とも呼ばれる鮮やかな色の残る『38窟』です。
他には天上の宇宙観が描かれた中心柱窟の『17窟』、僧房窟の『10窟』、説法図や釈迦も描かれた『8窟』、太陽窟と呼ばれてる『34窟』、イスラム教徒によって破壊され殆んど残っていない『32窟』、『27窟』等を見て回ったが、仏像の頭部や壁画の顔はイスラム教徒により破壊され、外国の探検隊によって剥ぎ取られてしまって痛々しい姿になってしまっている壁画もあり、その中には日本の大谷探検隊により持ち出された部分も。
キジル千仏洞は3世紀から8世紀に亘って開削された石窟寺院で、敦煌の莫高窟に比べて全体の規模も、一つ一つの窟の大きさも小さいです。塑像は殆んど残っていないですが、壁画の保存状態は良く、かなり鮮明に色彩が残されています。
見学を済ませてホテルに戻る前に河原でスイカのおやつタイム。そこへ丁度放牧の羊の群れがやってきた。写真を撮ってホテルへ戻って夕食。
【 クチャ 泊 】
8日目 9月17日(火) クチャ滞在
「スバシ故城」の次にバスが向かったのは「塩水渓谷」。
クエレターダ山からの雪解け水が流れる峡谷で、塩分を多く含み、水量の少ない時期になると塩分が結晶して、川の流れが天然の天日干しの塩田のようになるらしいのだが、昨日の雨で”塩”は見れませんでした。
でも遠くに雪を戴いた天山を望み、手前には砂山と赤い山が見事な景色でした。
その少し先には「天山神秘大峡谷」が。
予備知識も殆んど持たずにここを訪れて驚いたのは、まさしくヨルダンのぺトラのよう。アルカズネに向かって歩く両側に切り立った赤い岩肌の回廊とそっくり。
峡谷には犬神守谷、施天古堡、駝鳥峰、王女泉、南天文、天山涼閣、相思像等々と名付けられた回廊が続き終点には千仏洞があるがそこは立ち入り禁止だった。
Uターンして来た道を写真を撮りながら戻ってバスへ。
【 クチャ 泊 】
9日目 9月18日(水)
朝9時にクズルガハ研究員の張さんと共にホテルを出発。
ホテルよりバスで30分余りでクズルガハのゲートに到着。
この先は許可の無い一般人の立ち入りは出来ません。
ゲートからさらにバスで5分ほど先に大きなタワー状の建造物が出現。
クズルガハ烽火台だ。クチャのオアシスを見下ろす絶好の高台に向けられた基部で4.5mX6.5m高さ13m(現在のサイズ)の日干し煉瓦を積み上げて作られた烽火台。
北は天山山脈に跋扈する匈奴を睨み、東はクチャのオアシスを見下ろすこの烽火台は、敵の襲来を知り警報を発する台としては、絶好の位置にある。
さらに5分ほどでクズガハ千仏洞に到着。
クズガハ千仏洞は5世紀から12世紀にかけて造られた石窟寺院で現在46窟が発見されている。
文化大革命の際に多くの窟が破壊を受けたといわれています。
敦煌の莫高窟やキジル千仏洞等と同じく一つ一つの入り口には鍵が掛けられていて、研究員さんが一つの扉を開けて中に入り説明があり見学が終わると鍵を掛けて次の窟へと移動して、鍵を開けて・・・の繰り返しで何とも効率が悪い。
ここでは飛天図、ガルーダ、釈迦の前世の物語等が描かれた11窟。供養者の絵だけがわずかに残る13窟。かつては巨大な立像が安置されていて、今は後室に山水画の壁画の残る16窟。
極楽の音楽を奏でる8体の飛天が描かれた30窟。でもこの飛天には腹筋が描かれているので男性の飛天だとか?天井全体を鮮やかなブルーの地で描き、小さな黒色の球がいたるところにちりばめられている。現在は黒色になっているが、煌めく星である。8体の飛天は、4体ずつ向かい合って、星月夜に天衣をひらめかせて飛翔している。楽器を奏でる伎楽天と花を撒いている飛天がそれぞれ4体ずつ、いずれもはっきりと描かれている。
これも天井画の綺麗な32窟、経典等を収めた本棚を備えた僧房窟の27、28窟等を見学。
どの窟も高さは2〜4m幅、奥行きも4mほどとかなり狭い。
特に後室への通路は人一人がやっと通れるほど。後室自体も幅50cm位いしかない。でも壁画は圧倒的に後室の方が痛みも少なく、色も鮮やかに残されている。
クズルガハ千仏洞の次にバスが向かったのは亀茲博物館。
ここも写真撮影はダメでした。
次いでカシュガルにあるエイティガール寺院に次いで新疆で2番目に大きなモスクのクチャ大寺。
お昼前にクチャでの総ての見学を終わらせてウイグル人のハソパンさんのお宅へ。
ウイグルの人の作法でお宅に入る前に水差しから手に水を掛けてもらいます。
通された部屋には日本ではあまり目にすることのできない、手製のお菓子とお庭で採れたフルーツ等が並び写真を撮るのと食べるのとで大変なことに。
さらにお庭に出てナン作りに挑戦。
焼き立てのナンの美味しいこと。
次いでラグ麺作りも体験。
これはちょっと難しくお母さんに助けてもらって、出来た麺はすぐにお湯に入れられほんの1,2分で茹で上がりお皿に盛られて一同のお腹の中へ。
どれも美味しくてお腹一杯。
ウイグル式の心のこもったおもてなしにお腹も心も大満足でハソパンさん宅を後にしました。
14時にホテルに戻ってきました。
コーヒーを飲みながら列車の旅に備えて荷支度を整えシャワーを浴びてさっぱりとして16時30分ホテルを後にしてクチャ駅に。
駅の入り口で荷物検査を受けて大混雑の待合室へ。乗車する列車は南疆鉄道の快速5808号列車9号車14番上段。
1時間ほどでホームへ移動して車両番号を確認して列車の到着を待ちます。
停車時間わずか6分の列車に慌ただしく乗り込み定刻通り18時31分にクチャ駅を出発。ウルムチまで17時間ほどの寝台列車の旅がスタート。
20時頃、食堂車に移動して夕食。
食事中に丁度日没の時間となって車窓からの夕日が綺麗でした。
その後進行方向から満月が昇ってきた。今日は中秋の名月の15夜。ホテルのロビーで「月餅」が売られていたのを思い出す。
【 車中 (軟臥) 泊 】
10日目 9月19日(木)
朝7時頃に目が醒めたが外はまだ暗い。やがて、列車の進行方向の前方からタクラマカン砂漠に朝日が昇ってきた。
写真に夢中になっていたら朝食の案内があった。
食堂車に向かい大きな万頭とお粥の朝食。
9時25分にトルファン駅に停車。前回のシルクロード旅行では立ち寄ったが今回はトルファンの観光はなし。
車窓左手には真っ白に雪に覆われた4000m級の峰々を抱く天山山脈が延々と続き、雄大な景色の中を列車はウルムチを目指す。
12時15分ウルムチ駅に到着。
待っていたバスに乗り込みまずはイスラム風のレストランに向かい昼食。
食後はウイグル自治区博物館へ(詳細は後述)。
博物館の見学を終えて近くのスーパーに出掛けて最後のお買い物。
シルクロードでの全行程を無事に終えてウルムチ空港へ。
18時、少し早いけれど空港内のレストランで最後のディナー。
食後はこのレストランで食事を摂った人だけの特権?というVIP専用のチェックインカウンターで待たされることなく、またチェックも緩く待合室へ。
10日間お世話になったガイドの馬さんどうも有り難う。バスが停車する度に用意してくれたハミウリ、スイカとても美味しかったです。再見!
20時10分CA1294便にて北京へ。
軽食の機内食を食べたらあとはぐっすりと。
23時30分北京空港に到着。でも荷物が中々出てこない!
中国の空港は何処でも荷物が出てくるのに時間が掛かる。
ホテルの到着は日付が変わって20日の0時35分。
眠かったけれど、荷物の整理などをしてゆっくりと入浴し、ベッドへ。
【 北京 泊 】
10日目 9月19日(木)
今回の旅行でのウルムチでの観光はウイグル自治区博物館のみ。
新疆ウイグル自治区博物館は特に新疆ウイグル自治区に対する中国政府は対応に神経を使っているようで、この地域に暮らす少数民族の展示は充実している。
アスターナ古墳の復元展示やローラン美女をはじめとする数体のミイラ等、前回シルクロードを訪ねた際にも見学しているので、目新しいものはなかったけれど、2回に亘るシルクロード旅行を経て見学すると勉強になるところが大きかった。
11日目 9月20日(金)
朝5時たいして寝ないのに添乗員さんから最後のモーニングコール。
ホテルのロビーでボックスの朝食を受け取りバスに。
6時にホテルを出て6時25分北京国際空港に到着。
北京国際空港は広く搭乗口までけっこう時間がかかります。
8時50分中国国際航空CA181便は羽田空港に向けて帰国の途へ。
機内では昼食が出てその後に「月餅」が配られた。中国の航空機でこんなサービスは始めて。13時20分羽田に帰着。
11日間に亘ってお世話して下さった添乗員の長田侑子さんどうもお世話になりました。有り難う御座いました。お疲れ様でした。
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