おまかせルーマニア・ブルガリア10日間 おまかせルーマニア・ブルガリア10日間

2018年 9月 14日 ~ 18日
阪急トラピックス
にて

PART.2  バゴー     ヤンゴン  帰路







ミャンマー国旗





 おまかせルーマニア・ブルガリア10日間



日程 3日目 9月16日

チャイティーヨ観光後、往路と同じ道を専用トラックにてジェットコースターのような道中でキンプンへ。
キンプン着後、待っていたバスに乗り換えてバゴーへ。

10時30分、バゴーに到着。
バゴーはヤンゴンの北東に位置し、13世紀から16世紀にかけてモン族のバゴー王都があった古代都市です。
この街には多くの歴史ある建造物や仏像が残されており、 風情を感じられる古都です。





 チャッカワイン僧院


ウーティッラ僧侶によって創建されたチャッカワイン僧院では、現在約500名の僧侶が修行しています。ここでは他ではお目にかかれない、僧侶たちの修業、勉学に励む姿と日常を見学できました。
びっしりと小さな机が並んだ体育館ほどもある広い教室。
今日の午後に試験があるとのことで、若いお坊さんは緊張した顔で我々を迎えてくれました。
その後はガイドさんから炊き立てのご飯をもらい、托鉢の体験です。
ラオスで体験した托鉢と違ってお寺の中での托鉢です。
その後托鉢を終えた若いお坊さんたちの朝食の様子を見学して僧院を後にしました。





 シュエターリャウン寝仏


994年に建造されたとされる現存するミャンマー最古の寝釈迦像がシュエターリャウンです。
16世紀後半、ビルマ族にバゴー王朝が滅ぼされて以降、この寝仏の存在は忘れ去られていました。
1880年、ミャンマーがまだイギリスの植民地だった頃、鉄道敷設のための視察時に偶然密林から発見されました。
現在は仏像には塗装や装飾などが施され、大きな屋根で覆われています。
寝釈迦像は涅槃仏(ねはんぶつ)とも呼ばれ、お釈迦様がすべての教えを説き終えて入滅する様子を仏像としてあらわしたものと言われています。
また、寝釈迦像は土着信仰から仏教信仰に変わったことを記念して建造したと言われています。
寝釈迦像は日本にもありますが、東南アジアの各国で多く見られます。
ここシュエターリャウンの寝釈迦像は全長55m、高さは16mと巨大な仏様です。
参拝者は入口で靴を脱いでから上がり、カラフルなタイルの敷かれた階段を上がると目の前に現われます。
中に入るとその大さに圧倒されます。全身を見るには大きすぎて、1枚の写真には納められません。屋根を支える金属製の柱は何とかならなかったのかと思ってしまいますが、寝釈迦像は当然信仰の対象としての仏様なのですから、巨大な寝釈迦像を護るには巨大な建物が必要なのかと。
仏像の枕部はモザイクで綺麗に装飾された千両箱のようなものが積み重ねられています。千両箱というより玉手箱かも?
また足の裏の模様は美しく見ごたえがあります。
また、ちょと古いですが、映画『ビルマの竪琴』の舞台としてもよく知られています。









 シュエモードパゴダ



古都バゴーのシュエモード・パゴダは、「黄金の神のパゴダ」という意味を持ち、バゴーの町のランドマークとなっている高さ114mとミャンマーで最も高いパゴダで、ヤンゴンのシュエダゴン・パゴダとピィのシュエサンドー・パゴダと並びミャンマー3大パゴダの1つに数えられています。
8~9世紀頃に建てられ、聖髪と仏舎利、寄進者たちの宝石などが安置されています。作られた当時は23mぐらいの高さでしたが、歴代の王や信者の人達により再建を繰り返し、現在の高さになりました。
東西南北に4つの門があります。
参拝者は入口で靴を脱いでから上がり、タイルの敷かれた階段状の参道を進みます。
長い参道を抜けると、黄金の何層にも重なるミャンマー様式の屋根を持つきらびやかな礼拝堂があり、さらに進むと天に向かってそびえる巨大なパゴダが現れます。
太陽に照らされてキラキラと輝くパゴダと青空のコントラストが眩しく、見上げていると遠近感が麻痺して非現実的な不思議な感覚になってきます。境内はとても広く、数多くの小さなパゴダや祠、八曜日仏などが並んでいます。お寺や説教を受ける場所で、休憩所もあります。
また、サイズが日本の大仏と比べ少し小さめですが、日本人が寄付した大仏もあります。
このパゴダは、何度も地震で被害を受けたこともあり、マグニチュード7の地震でパゴダの上部が壊れ崩れたことがありました。仏塔の中はレンガとコンクリートを詰め込んで造られていて、壊れた上部は下まで落ちずにパゴダのテラスの上に止まっていました。現地の人たちは仏舎利と聖髪のおかげで下まで落ちなかったと信じています。そのため、今でもその上に小さな仏塔が造られてはいますが、落ちたままの状態で保存されています。







チャイプーンパゴダ


古都バゴーでの最後の観光は四人のブッタ座仏が東西南北を向いているという、他ではお目に懸かれないチャイプーンパゴダを訪ねました。
15世紀の建造とされていますが、現在の姿は、パゴダ建立500年を記念して1975年に修復された、とても大きな4面の仏像です。それぞれが異なる仏像とのことですが、時間の関係で4面すべてをカメラに納めることは出来ませんでした。


古都バゴーの観光を終えてバスにてヤンゴンへ。ヤンゴンまでは約100kmほどです。







 おまかせルーマニア・ブルガリア10日間







 日程 3―4日目 9月16日―17日

1755年 ビルマ族がこの地を占領し「戦いの終わり」という意味の「ヤンゴン」と命名。 
ミャンマー最大の都市で人口は約410万人。
ヤンゴンは1948年のビルマ連邦独立当初は首都でしたが、2006年にネピドーへ首都機能は移転しました。
しかしヤンゴンは今でもミャンマーの、経済、文化の中心地であり、ミャンマーにおける重要な貿易拠点となっています。日本を含めて殆んどの国際線航空便も首都のネピドーではなくヤンゴンに発着する。
現在のヤンゴンにはミャンマー人の他、インドやネパール人を中心とした中東系、中国からの移民も数多く住んでいて、ダウンタウンにはインド人街、中国人街も形成されています。








 シュエダゴン・パゴダ


ヤンゴンを代表するお寺のシュエダゴン・パゴダ。地震による崩壊や復旧も経験していますが、約2,500年の歴史を持ち、お釈迦様の聖髪が納められているとされています。
それぞれ「シュエ(金)」「ダゴン(ヤンゴンの旧名)」「パゴダ(仏塔)」を意味し、その名の通り、黄金に輝く美しい仏塔を備えて、バゴーのシュエモード・パゴダと遜色ない巨大なお寺です。
ここも短パンや半袖のTシャツ、タンクトップ、キャミソールなど肌の露出がある服装では中に入れません。男女ともにミャンマーの人は民族衣装のロンジーと呼ばれる布を腰に巻いています。
そして中は土足厳禁なのも他の寺院と同じです。
シュエダゴン・パゴダは本殿に着くまでに長いエスカレーターがあり、裸足で乗り基壇の上にあがります。
黄金に輝くパゴダ(仏塔)を取り囲んで中に仏像を収めた小さなパゴダ(仏塔)がびっしりと並んでいます。
東西南北それぞれに祈祷堂もあります。
またパゴダ(仏塔)の周りには8つの曜日を象徴する動物が祀られた少し大きめのパゴダがあります。8つの曜日?って、という疑問がわくかと思いますが、水曜日だけは午前と午後で分かれているのです。
ミャンマー人は皆自分の生まれた曜日を知っていて、それぞれの守護動物にお参りに行きます。
自分の守護動物の神様をお参りした後は、中央のパゴダを望む広場状の場所で座ってパゴダを眺めています。
やがて辺りが暗くなるとライトアップされ黄金のパゴダは赤銅色に輝いて見えます。
たっぷりと時間があったので、昼間の顔と夜の表情が見られてとても良かったです。
信者の方々は中央にそびえる巨大なパゴダを眺める中庭にじっと座って祈りを捧げています。あたかも日本のお正月の寺院のような賑わいでした。

レストランで夕食後 20時15分 最初の晩に泊まったスカイスターホテルにチェックイン。






ヤンゴン市内観光


 日程 4日目 9月17日

朝食後ホテルを出て、昨日見学を済ませたシュエダゴン・パゴダを除いてのヤンゴン市内観光へ。





 チャウタッジー・パゴダ


チャウタッジーパゴダも中に入るときは素足になる必要があります。入り口に靴の預かり所があるので、靴を預けて靴下なども脱いで中に入ります。
他と同じく半ズボンやミニスカートやタンクトップなどの肌の露出が多い服装も禁止事項の一つです。
靴を脱いで歩くとすぐにお供え物が売られています。
中に入るとすぐ目の前に現われるチャウッタージーパコダの大きな寝釈迦仏に圧倒されます。
残念ながら今はお化粧直しの真っ最中。体中に竹で足場が組まれていました。
顔には豪華絢爛な髪飾り、眉間には宝石による装飾、整えられた眉毛、白い肌、青いアイシャドー、鼻筋の通った立派な鼻、鮮やかな赤色の唇等を足場越しに見ることが出来ます。
全長70m、高さ17mとシュエターリャウンの寝釈迦仏を超える巨大な寝釈迦仏です。
塗替えが済んだからなのか昨日見たシュエターリャウン寝仏以上にメイクアップもバッチリな身だしなみを整えたキレイな仏像です。
指先の爪もピンクのマニキュアでおしゃれです。
ただそのお体には金ぴかの豪華な法衣を纏っているとのことなのでしたが、足場の間から見たところ、養生のためか真っ黒でした。
寝釈迦仏の足の裏には仏像の宇宙観を表す108の絵柄が描かれています。
寝釈迦仏をぐるりと一回りできます。足元のあたりに大きな銅鑼があったので”バーン”と叩いてきました。






スーレーパゴダ(サクラタワー)
カラフルでモダンなビルの多いスーレーパゴダ通り、ダウンタウンのど真ん中のローターリー状の交差点の中にあるパゴダです。
高さ約48mのパゴダで、ミャンマーにある他のパゴダは円形ですが、この寺院のパゴダは八角形をしています。この寺院は2000年前、仏陀の聖髪を納めるために建てられたと伝えられています。


アウンサン・スーチー邸
スーチーさんの自宅はインヤー湖の南東の湖岸にあります。
スーチーさんが、はじめて自宅軟禁されたのが1989年、それから解放・軟禁、繰り返し、自宅軟禁から最終的に解放されたのは2010年です。
スーチー邸の正門の上にはスーチーさんの父親のアウンサン将軍の写真が掲げられています。
高い木に遮られて真っ白で西洋風のご自宅はわずかにしか見れませんでした。


セント・メアリー・カテドラル
仏教国のミャンマーに突如として現れる、イギリスによる植民地時代に建設された西洋風の教会です。


チャイナタウン
有名ディスコ・エンペラーもあるシュエダゴンパゴダ通り。中華料理店等漢字の看板が並んでいます。


ボージョーアウンサンマーケット
多くの商店が入り売られているものも豊富で冷房の入った館内は涼しく楽しく買い物が出来る。ただ、値段はそれなりに高く現地の人達のためというより観光客の姿の方が多かった。
こちらの人達には道路端のお店の方が便利なようだ。


この後、ヤンゴン市民の緑豊かな憩いの場・マハバンドゥーラ公園、イギリス統治時代に建てられたコロニアル風建築物のヤンゴン市庁舎、元最高裁判所、中央郵便局等を車窓より見て回り、レストランへ向かいこの旅行最後となるミャンマー料理の夕食。



  ヤンゴン市内の観光後、レストランでこの旅行最後となるミャンマー料理の夕食を摂り空港へ。

 








  おまかせルーマニア・ブルガリア10日間


 日程 4日目 9月17日

21時45分 ヤンゴン発のANA814便にて成田への帰途に。
機材は往路と同じ、B-767-300型機。座席は20K.。
ほぼ定刻に離陸して、すぐにスナックの夜食が出る。

日程 5日目 9月18日

座席のモニターの具合が悪く離陸後の飲み物のサービスが終わるまでビデオは見れなかった。
往路とは違ってミャンマー上空を北上してマンダレー上空を通り、中国上空を飛び続け上海の北から黄海へと抜け、九州上空を通過するころに朝食が出て、午前6時15分に成田空港に到着。







                                     
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PART.1  成田空港よりヤンゴンへ     チャイティーヨ

PART.2  バゴー     ヤンゴン  帰路



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